色紙

 「永いき死たい」意味不明?或いは深い意味がある?なんとなくその色紙を見入ってしまった。  牛窓を出るときには小雨が降っていて、玉野に着く頃には日が差して車の中は暑くなった。ただ若干の風でも体感温度は一気に下がるので、母を施設の外に連れ出すのは躊躇われた。そのせいで施設の中を母の車椅子を押してゆっくりと散策した。そこで見つけたのが、壁に10数枚貼られていた色紙だ。おのおのに名前と今年の抱負が書かれていた。字は僕以上に乱れているから、読むのに苦労するが、想いは伝わってくる。「酉年」などと心のうちを旨く表現することができていないのもあったが、大半は心のうちが伝わってくるものだった。そして気持ちを表現している色紙の中で冒頭に上げたもの以外は、すべて健康に関するものだった。全員が表現に違いはあるものの「健康で暮らせるように」と書かれてあった。  多くは痴呆だが、色紙に自分で字が書ける人は、肉体的なハンディーで施設に入っているのだろう。だから多くの人は痛みか、心臓病などの不快さか、活動制限で苦しんでいるはずだ。だから健康とか元気と言う表現を用いるのだろう。少しでも痛みから逃れたい、少しでもしんどさから逃れたい、少しでも不自由から逃れたいのだろう。何歳になってもその思いは共通だ。その想いがひしひしと伝わってくる。  僕は冒頭の色紙を見つけたときに、死にたいと表現したものだと思った。長生きし過ぎたと読んでしまった。しかし他の色紙を読み終えたときには、「死」が「し」の単なる間違いだと分かった。「長生きしたい」の間違いだと気がついた。十分長生きしているはずなのだが、もっともっと生かせて欲しいと願っているのだ。  筋肉も脂肪さえも落ちて、骨の周りに皮を張っているだけのような姿になっても尚、健康で長生きしたいという希望を持つことが出来るのが人間なのだろうか。不遜な先入観で言葉の意味を解釈しようとした自分の未熟さを思い知らされた。近い将来、僕は差し出された色紙になんて書くのだろうと思いながら母の手を握った。