結婚

 僕は自分の子供と面と向かって本気で話し合ったことはない。毎日多くの人と話をするから、仕事が終われば無口だったのか、何かを意図的に植え付けるようなことを嫌っていたのか、必要を感じなかったのか、思い出そうにも元々なかった映像は脳裏に浮かばない。
 昨日、珍しく一瞬娘と結婚について話すことがあった。僕は余り結婚について意味を感じる方ではない。結婚したカップルの半分近くがいずれ別れるし、結婚する必要を感じていない人も多い。昔みたいに、回りが祝うほど結婚自体がそもそも難しいものではなく、その気があれば誰だって出来る。家なんて観念もないから敢えて子孫を残す必要もない。そんな持論を言うと娘も結構相づちをうっていた。今まで勿論こんな話題を二人の間で持ったことはない。 僕が大切にしていることは、結婚して後、二人で如何に社会に貢献して生きて来れたかを遠い将来達成感を持って振り返ることが出来るか否かだ。勿論授かった能力に差があるから、大きな貢献かどうかは問題ではない。自分たちの能力の及ぶ範囲で、人助けが如何に出来たかが恐らく人生の大きな価値を決めるものだと思うのだ。豊かな生活を望むのではなく、豊かに生きることが出来れば人生は素晴らしい。勿論一人で生きている人達も同じだと思う。  その辺りも何ら反論することなく娘は聞いていた。儀式をもっとも苦手としているこの親は、娘の幸せを祈っているのではなく、娘の、又その夫となる人の意味ある人生を祈っているのだ。僕は息子にも結婚おめでとうとは言わなかった。その代わり、これから恐らく延べにして何万人、いやもっと多くの人を助けることが出来る人生を僕は心の中で一人祝福した。  僕は子供達が学生時代を終えた瞬間から親業を辞めた。今は寧ろ同質の職業人としての関係の方が濃いだろう。もう与えるものはない。追い越していく背中を見送るだけだ。生きていく人ではなく、生かされる人であってくれれば充分だ。