変化

 今日はとても嬉しい電話をもらった。有名な野球チームがある都市に住む若い女性からだ。僕はその街に行ったことがないから、そのドームをテレビでしか見たことがないのだが、彼女の電話を受けるたびに、知らない街を想像する。大きな球場から広がる商店街。アイスクリームをなめながら歩く若者達。空に飛んでいく風船。黄色く色づいた街路樹。そして声だけしか知らない女性の風貌。 同じような悩みで苦しむ人達のために彼女がくれた文章のほんの一部を紹介する。メールより電話で話す機会が多い彼女だが時々メールもくれ、こうして言葉が残っている。最初の状態と今日の電話の状態の変化を感じて欲しい。そして僕と縁が出来た人全員が誰一人落ちこぼれることなく落とし穴からはい上がって欲しい。  「ガスが無意識のうちに漏れてしまい、しかも部屋中ににおいが充満してしまいます。現在ニートです。人がこわくなり、働けない状態です。くさいとか邪魔とかうっとうしいとか嫌いとか悪口を言われ、家でも死んじゃえばいいのにって言われて、生きている資格がないと思い自殺したいと毎日本気で考えます」 半年前は、彼女は人に怯えていた。人どころか、すれ違う犬の仕草にも怯えていた。僕は電話で話すたびに、世の中、あなたに悪意を感じ、あからさまに不快感を示すような悪人はいないと言い続けてきた。世の中、ほとんどの人が善人だとも言い続けてきた。ところが彼女はそんな僕の言葉は信じることが出来なくて、その都度遠慮がちに僕の言葉を否定していた。でも僕は、彼女と何回も話して分かっていた。こんなに遠慮がちに生きている女性が決して人に嫌われたりするはずがないことを。また、決して自己を主張するわけではなく、人に迷惑もかけずひっそりと暮らしている人が幸せになる権利を放棄していいはずがないことを。僕は慰めではなく、確信を持って世の中いい人がほとんどだと言い続けてきた。  なんと、漢方薬を飲み始めて数ヶ月がたった頃、彼女が働くことになった。ところが、職場のおばちゃん達にいじめられるようなことを訴えていた。でも僕はやはり言い続けた。恐らくみんないい人なのだと。なんと楽天的なことを言うなと思ったかも知れないが、社会が今こうして維持できているのは圧倒的に善人で占められているからなのだ。こんなに単純な真実はない。  今日彼女は電話で「先生が言っていたことが信じられるようになりました。おばちゃん達が親切になって、飲み物をくれたりするんです。やはりみんないい人です」と言った。朝早い時間にもらった電話だから、今日1日がとても気持ちの良い日になった。お腹が治るよりもっと崇高な価値を彼女は手にしてくれた。もっともこのような心の変化が起こればお腹なんかいずれ治ってしまう。  このような人間として失って欲しくない価値観を、逆に社会が失わせてはいけない価値観を一人の若い女性が手にしてくれたことに安堵した。あのまま不信感と共に生きていくにはこれからの人生が長すぎる。多くの人と知り合い、助けたり、助けられたりして人生を楽しんで欲しい。僕の漢方薬のおかげだとは言えない。僕の冗談交じりの助言のおかげとも言えない。こんな田舎の薬剤師が何となく気になった彼女のひらめきと、薬を真面目に飲み続けた真摯さがもたらしたものかもしれない。