聖域

 就職した岡大を1日で辞めたから、僕のサラリーマン人生はわずか1日だった。翌日には嫌気がさして辞表を持っていった。以後牛窓に帰って今に至るから、ずっと自営と言うことになる。 サラリーマンの経験がないから、内部から見ることは出来ないし、さほど興味もないから全くの無知と言える。ただ、そんな僕でさえ最近の彼らを見ていると限界を超えて働いているのではないかと、いや働かされているのではないかと思うことがある。しばしばその弊害におかされた人達と遭遇する。一見お門違いと思える僕の漢方薬を求めてくる人が多いのだ。垣間見た程度の知識しかないが、ノルマという名の無理難題をはじめとして、生産性の向上という絶対的な不可侵の麗しい目標のために命を削って働いているのが実情なのかもしれない。嘗てのように縦の人間関係でクッションになる人が少なくなり、横の連帯感も希薄らしい。まるで孤立した人々は僕に言わせれば、体温のあるロボットだ。血が流れて体温があるかないかだけの差のような気がする。まるでロボットのように服従さされ、魂を抜かれている。魂が残っている人が矛盾に苦しみ心を患っているような気がする。 体温を失ったときに人は初めて物になるのに、現代では体温を維持したまま物になっている。首から上を捨てて物になりきって働いているのに、最終的には首から上で苦しむ。なんて矛盾だ。人がもっとも人らしいのは首から上なのに。  現場経験のない僕に、助言したりする力はないが、へー、へーって驚くことが出来る無知がある。だからこそ、あまりの臨場感に思わず身を乗り出す。するとさっきまで鬱々としていた人達が生き生きとし始める。寡黙も雄弁に代わる。治らないはずがない。みんなそれぞれに首から上に素晴らしい人格を隠し持っているのだから。誰もが侵すことが出来ない聖域はまさにそこにある。