修行

 韓国のことわざに、カボチャにいくら線を引いてもスイカにはなれないと言うのがあるらしい。いくら厚化粧をしても化けの皮ははげると言うそんな嫌みなことわざでもないのだろうが、どうやらかの国ではカボチャよりスイカの方が上ってのは分かる。同時に以下のような言葉も教えて頂いた。本題はこちらにあるのだろうが、おもしろおかしく紹介されたことわざの方が親近感があり、女性を中心に大きな笑いが起こった。  「外から人の身体に入るもので人を汚すことが出来るものは何もなく、人の中から出てくるものが人を汚すのである」これにはさすがに誰もが一瞬黙ってしまう。人間の心の中から悪いものは出てくると言うのだから僕なんか完全に構えてしまう。みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別・・・確かにどれをとっても全部我が心の中に発生したもので、注入されたものではない。誰かのせいにして言い訳が立つものでもない。居並ぶ紳士淑女達もこれを完全に制御するのは難しいだろう。最も人間らしいところを理性で昇華するには並大抵の努力がいる。いや、努力なんてものではなく修行と呼んだ方がいいかもしれない。全て克服した世界がどの様な世界か想像することすら出来ないが、せめて一生修行の身と答えることで許して欲しいものだ。