温度計

 誰にでも天敵みたいな人がいて、あの人さえいなければなんてこの世は楽なのだろうとつい想像したりする。心の中で殺したりもする。それは罪なことと諭す権利は聖職者以外にはない。もっとも心の中でいくら思っても、それを実行に移す人は希有だから、人は大きなブレーキを本来的に持っている。何十年に渡り鉄格子の中に拘束される苦痛を一瞬の激怒で請け負う勇気がある人は別として、ほとんどの人は冷静な諦めの中で暮らす。僕もご多分に漏れずその一人なのだが、長いことその様な環境にあったので、少しばかりそのストレスから開放される方法を見つけた。天敵がいてもストレスを少なくして暮らせる方法だ。以下の方法だが、ずいぶんと気がつくまで時間がかかった。他の大人にとっては簡単なことで当たり前すぎるようなことだが、僕にとってはやっと行き着いた境地だ。早く誰かが教えてくれれば不快な時間を持たなくてすんだのに。人生論など如何に日常会話の中には出なかったってことだ。  僕にとって不都合な人でも、その人が属する集団では恐らく多くの人の尊敬を集め、多くの人に慕われているはずだし、家族には愛され頼られている。僕が見えない共同体で、恐らく僕と同じような日常を送っている。その人は、僕のために生きているのではない。全く僕とは関係なく生きている。あたかも僕がその人のために生きているのではないのと同じように。僕が与えないのに、僕が報われることを望むのは許されない。論理的に許されないことを感情の世界で解決しようとしてはいけない。馬が走る速さを温度計では測れないように、その人の人生を僕の価値観では測れない。  僕にとって、僕の家族にとって、僕の薬局にとって、僕の町にとって、僕の属する集団にとって、僕の国にとって居心地がよいことが正しいことではない。それは単なる「都合がいいこと」でしかないのだ。都合を全ての物差しにしたら善良な人でも悪人にしてしまえる。 最近は、否定的な見方がむくむくと僕の中に湧いてきたら、ああ、この人にも大切な家族がいて、大切な仕事仲間がいて、大切な共同体もあるのだと考えることが出来る。だから心の中で罪を犯さなくてすむようになった。感情が暴走しやすい人、逆に心を斬りつけられた人に参考になったら嬉しい。