基準

 心の病気っていったい何なのだろう。勿論専門的な尺度があって、それに従って専門医は治療をしているのだろうが、僕にはその基準が全く分からない。  話していると良く笑い、話題も豊富で楽しい。ところが、その気配りのせいで後からどっと疲れが出るという。それは普通だと僕は言うが、本人は異常だと言い張る。朝起きれないから異常だというが、低血圧だから朝弱いに決まっている。毎日カレーのような下痢しかでないから異常だと言うが、超スリムで煙草を吸っていたら下利便に決まっている。人が怖いから異常だと言うが、人見知りは誰にだってある。大切にされた経験が少ないと人って怖いものだ。ましていじめなどと言う社会の臆病が蔓延すると、人を真から信じるほうが異常だ。コーヒーなんて飲まないのにムカムカして仕方ないから異常だって言うが、10種類も薬を飲んでいたら肝臓がやられてムカムカするのは当たり前だ。死んでしまいたいといつも思うから異常だと言うが、死んでしまいたいと思うほどの孤独って誰にもあるものだ。職場で、どうしても受け入れられない人が出て職をすぐ転々とするから異常だと言うが、天敵ってどこにでもいるものだ。これらの不安や不満に対して薬で対処しようと思うから、どんどん安定剤や抗ウツ薬が増える。これらの訴えは病気なのか。医師に言うと病気で、知人に言うと愚痴ではないか。薬で対処するものではなく、はけ口で対処するものではないだろうか。  今日、精神病でなかったと言う嬉しい連絡があった。家では楽しそうに笑っているから僕は精神病ではないと言った。信じられないような診断と、信じられないような薬をもらっていた。その薬で夢遊病のようになったらしい。家族の的確な判断で薬漬けの人生を早いところで回避できた。医療機関を批判するのではない。ただ、無批判に従属する薬剤師でもいけないだろう。僕は門前薬局でないから、自由をまだ確保している。田舎の薬剤師が、将来ある青春前期の人間を救ったと言うのはおこがましいが、たった一言が言える立場を確保していて良かったとつくづく思った。。  個性と病気をどこで区切っているのか僕には分からない。僕に接触してくる人のほとんどが単なる個性で苦しんでいるように思えて仕方ない。脳に作用する薬で対処すべきかどうかはなはだ疑問だ。漁港の傍で釣り糸をたれたり、あぜ道に寝っ転がっておにぎりを食べたり、年寄りの角が取れた人格に触れ合っていたら、治ってしまいそうな不調に思えてしかたない。いやいや、治るって感覚より、変わるって感覚の方が正しいのではないか。単に、変わればすむことが多いような気がする。そう言っている僕がそもそも変人なのだから。