便乗

 僕がいくら力説しても世の中に何の影響ももたらせないが、昔から言い続けていることがある。たいした内容でもなく、他の多くの人も当然同様の考えをもっていると思うが、ある高名な方の文章の中に最近同じ趣旨のことを見つけたので、便乗してここに披露する。  恋人を選ぶときは、自分ではなく、例えば階段で困っている老人や、バスで席が見つからない老人に素直に手をさしのべれる人を選ぶといい。下心があるときは、誰だって親切や優しさなど演じることが出来る。ところが旨くしたもので、利害がない対象に向かっては素で立ち振る舞ってしまう。そこまで演じる素養はないから、すぐにネタはわれる。見かけにだまされて一生棒に振ってはたまらない。誰にでも優しく親切な人と一生過ごすことが出来れば、宝くじの一等に数回あたった以上の価値がある。心が平安なのは何にもまして有り難いから。  「いい人」と簡単に評価しない方がいい。その人に失礼になるから。ほとんどの場合「いい人」と言う評価は「自分に都合がいい」と同義語だ。自分に何かの利益をもたらしてくれる人を「いい人」と呼んでいる。「いい人」が誰にでも同じようなことをしてあげているとしたら、「いい人」という評価は言われた本人は面はゆい。「いい人」を乱用しない方がいい。まるで、低俗番組の、神の手、賢人、匠、カリスマなどの乱用と同じレベルになってしまうから。心ある人ならそんな呼ばれ方を拒否するに決まっている。  職業柄、沢山の人と接してきた。僕が拠って立つ理論なんか無いが、多くの人が身をもって教えてくれたことを日々反芻すれば、どうあるべきががおぼろげながら分かってくる。もっと早く分かっていれば、もう少しは人の役に立てれたかもしれないが、得てして人生とはこんなものだ。害にもならない年齢になって初めて、人を害しない生き方が分かってきた。