作業着

 もうその男性は1年くらいは配達で毎週1回来ているのではないか。どう見ても定年は経験している年齢だろう。紺色の作業服を着て、軽トラックから注文の医療雑貨を降ろし、判をもらい、不要のダンボール箱をいくつか受け取って帰っていく。ほとんど私的な会話はない。荷物の確認と、お互いの簡単な労をねぎらう挨拶だけだ。要は配送係なのだ。セールス活動には違う日に若い社員がやってくる。  そんな彼が初めて私的な会話をした。「今日はジャズがかかっていないんですね」と。実はかかっていたのだが、音量が外の騒音に負けていて聞こえなかったのだろう。毎週1回訪ねてくる数分の間に、きっと彼はジャズを耳にしていたのだ。年齢と風貌からジャズという言葉が出てきたのには驚いた。しかし、その後から出てきた言葉にはもっと驚いた。「スタンダードなジャズは良いですね、落ち着きますから。実は昔ジャズバンドをやっていたんですよ」  なるほど、言われてみれば年齢はまさにジャズ年齢かも知れない。ただ、こちらの勝手な決めつけで、あの年齢なら演歌という言葉が出てくる方が自然に思えたのだ。それがジャズって言葉でバチッと決められたので、先制攻撃を受けたようなものだ。一瞬僕の言葉が止まった。それにしてもバンドをやっていたと言うから、僕みたいなテイクファイブオンリーのつまみ食いファンとは年季が違う。 もっと格好良いのは、それだけを言うと無駄話はせずに、ダンボールを束ねたものを2つ抱えて出ていったこと。配送係が、踏み込むことは許されない敷居を完全に彼は理解している。(僕は雑談大歓迎なのだが)  歳を重ねるってことは、肉体的な喪失以外は意外とまだまだ得るものが多いのではないかと思わせる彼の振る舞いだった。まさに作業着の紳士。