ハサミ

 調剤室で使っているハサミの中の一つは、極端に細くて黒光りしている。指を入れる穴が小さく僕の指は完全には入りきらない。僕は使えないが、娘は指が合うので使っているみたいだ。薬のシートを切る作業が多いので、ハサミは薬局にとって必需品だ。そのハサミは僕が幼い頃、母が散髪をしてくれた時に使っていたものだ。兄弟も全員母にしてもらっていたような記憶がある。散髪屋さんに行った記憶もあるから、大切な行事の時以外は母がやってくれていたのだろう。  散髪に関して一つだけ鮮明に覚えている出来事がある。散髪は必ず薬局の仕事が暇になる夜にやってもらっていた。ある夜薬局の半分を閉めて母にやってもらっていた。その時買い物に来た人がいたのだが、なんと数軒先の散髪屋さんの奥さんだったのだ。母が何か口ごもっていたのを覚えている。子供心にもばつが悪いだろうなと察した。当時いくら散髪代がかかっていたのか分からないが、母の倹約の一つだったのだろう。  20年前、母の胃ガンが発見され手術することになった。入院する前に古い通帳を渡された。いくらも入っていなかったような気がするが、通帳を入れた茶色の封筒に、このお金はあなた達の散髪代を倹約してこつこつ貯めたお金です、何かの役に立ててくださいと書いてあった。母は今我が家で一番元気だが、当時は死を覚悟していた。渡された封筒に書かれた文字を読むたびに涙が出てくる。子を思う母親の深い愛情を思い知らされる。5人の子供を大学に行かせるために働き続けた両親だった。経済的な贅沢をしているのを一度も見たことがない。  50年経っても錆びないハサミに、老いてもなお息子を助けようとする母親の愛が映る。