伴奏

 僕の傍で、「ミー、ミー」と繰り返すから、猫かと思ったら、「私にオルガンを弾かせてくれ」って言っているのが身振りで分かった。ミサの途中でフィリピンの人達のコーラスが入るが、その伴奏をさせてくれって言っているのだ。ミサの間は中年の日本人女性が伴奏を務めてくれているから遠慮しているのだろうが、彼が弾きたいのは聖歌ではなくゴスペルだから、その女性には弾けない。ギターで伴奏をしていたフィリピン人が帰国してから僕が毎週臨時で伴奏をしているが、本来は彼らの持ち時間だから彼らで完結するのが一番いい。  その女性に頼んだら快くオルガンを貸してくれることになり、来週からは彼が伴奏をすることになった。一度それでも聴いておきたいと思ったので、練習をしようと誘って実際に弾いてもらった。楽譜がないので僕が唄を歌ったら、彼は音をとって、もう2巡目には完璧に弾いた。回りにいたフィリピン人も日本人もすぐ唄の輪に入ってミサの時より盛り上がっていた。伴奏一つでこんなに違うのかと、来週の日曜日が楽しみだ。  ちなみにその後にギターも弾き出したが、これがまた素晴らしく上手だ。恐らく僕がやっているからこれまた遠慮していたのだろうが、その奥ゆかしさだけで十分だ。若い人が中心になることに抵抗はないし、望むところなのだ。希望に溢れる世代に、希望を失った世代が出来ることは道を譲ることくらいしかないのだ。何か良いことを成すときに若い人が力を発揮するのを見るのは、その上の世代の人にとっては喜びなのだ。どんなことがあっても立ちはだかってはいけない。それが親子でも同じことだ。立ちはだからないこと、ずっと心に決めていたこと。子育てが終わってから、久しぶりに思い出した価値観。