全開

 薬局が牛窓中学校の近くにあるので、生徒達が登下校するのが見える。たまに横着をして薬局の前あたりまで車で送ってもらい、そこから数十メートル歩いて登校する子もいる。理由があってのことだから良い悪いの判断ではない。時にほほえましい光景を目にすることもある。  今朝、軽トラックが横付けされたと思ったら、運転席からは畑仕事の格好のおばあさんが、助手席からは女生徒が降りてきた。おばあさんが荷台に積んである自転車を抱えて降ろすと、女生徒は自転車を漕いで中学校に入っていった。恐らく20回でも漕げば自転車置き場に着くのではないか。恐るべき省エネ登校。遅刻しそうになったのか、体調が悪かったのか分からないが、老農婦の逞しさが嬉しい。可愛い孫のためなら何でもしてあげそうな勢いだ。田舎には田舎の優しさの表現がある。顔は分からなかったがきっとあの農婦も薬局に来ると、素朴な会話をして、とても穏やかなのだろうが、ばあちゃんパワー全開だ。3世代同居のいい家庭なのだろうなと羨ましくなる。  他方で田舎には田舎の悲しさもある。優秀なお子さんを持った親は、老いては孤独だ。優秀なお子さんは都会に活躍の場を持つから、まず帰っては来ない。老夫婦、いや、独居老人が家を守っていることが多い。皮肉なものだ。そこそこの能力で、地元に職を求めたお家はにぎやかで外からでも家族愛が見える。人気のない家は、嘗ての近所で評判のお子さんがいたお家が多い。活躍の風評がいくら入ったって、孤独を慰めることは出来ないだろう。恐らく同様に優秀な配偶者を得て、都会の活気の中で、古里に残した親の心の声は聞こえないのではないか。  何かを得れば何かを失うのが世の常なら、元々失っている方が落差に戸惑うこともない。夕陽に急かされて玄関を施錠しても、遠慮を知らないカビ臭い冷気は万年床の敷布を容赦なく濡らす。