登校

 女子中学生は、ヘルメットの下でニコッと微笑んで中学校の方に自転車を漕いで行った。 調剤室で朝の一連の準備作業をしていたら軽四トラックが駐車場に横付けにされた。不作法な人だなと思っていたら、老人と女子中学生が両側の扉をそれぞれ開けて降りた。老人はおもむろに荷台に積んであった自転車を降ろした。女生徒はその間にヘルメットをかぶった。スタンドを立て自転車を支えながら老人はその様子をじっと見ていた。そして冒頭のように老人に微笑みを残して超短距離の登校と相成った。老人は無表情に車に乗り込み走り去った。  僕の薬局が中学校の手前にあることと、駐車場がちょっと拝借にはとても便利に出来ていることもあって、時々繰り返される光景なのだ。親の場合もあるが、おじいちゃんおばあちゃんが活躍していることも多い。お百姓や漁師は軽四トラックが必需品ってこともあるだろうが、横着を便利が懸命に支えているほほえましい光景だ。  日常のあらゆる場所に幸せな光景は落ちている。呼吸を止めた石ころの数ほども落ちている。こちらが気がつかないだけだ。山が幸せそうにはそびえないし、川が幸せそうには流れない。幸せは生きている物達の特権だ。生きているからこそ幸せなのだ。ものになってはけない。もののようになってはいけない。心に体温計を挟み、発熱すればそこかしこが見えてくる。  わずか1分の劇中にも伝搬する幸せの卵が孵る。