帰国

 東南アジアから働きに来ていた若い女性達が、集団で急遽帰国することにしたとメールで連絡をくれた。不況で仕事がなく、他の工場に回されることになって、仕事内容を見学に行ったそうだが、とても女性向きの仕事ではないから、みんなで相談して帰国することにしたらしい。  通訳として来たその中のある女性は、日本に来てわずか1年半で日本語検定の1級をとった。日本人とほぼ同じレベルの会話が出来るのだが、彼女のメールの中で一際目立った言葉がある。「きっぱりと断りました」と言うくだりだ。恐らく彼女らが日本に来て「拒否」と言うことが許されたことがあるのだろうか。長い人は来日して3年、短い人はまだ1年だが、彼女らはとても従順だった。ほとんど集団で行動していたが、工場の制服姿で見かけることがほとんどだった。町内から勝手に出ることは許されなかったから、彼女らは日本をほとんど知らない。牛窓を知っているだけなのだ。ほとんどの人が、会社の人も含めて話しかけることが少なかったから、心の底から親しくつきあえた日本人はいない。いつも防御の微笑みを欠かさず、懸命に耐えているように見えた。国に帰りたい?と尋ねると、誰もが帰りたいとはにかんだ。生活水準が違うから日本で稼いだお金で家族を養うなんてのは、こちら側から見た視点で、彼女らにその実感はなかった。それはそうだろう、研修とやらで最低賃金以下で働かされて、日本で生活した残りを国の家族に送るとしていくら残るだろう。その給料の額を聞いて下手をしたら赤字になるのではないかと心配した。  僕は彼女らと接するとき、いつも後ろめたさにさいなまれた。僕も又、彼女らの若いエネルギーを低賃金で吸い取っている国の一員だから。彼女らが僕に向けてくれる優しい眼差し、微笑み以上のものを返そうといつも思っていた。恐らくかなりの倹約生活を送っていた彼女たちに、美味しいパンやケーキや果物をことづけた。日曜日にはこそっと岡山の繁華街に連れて行って、気分転換をしてもらった。今思えばもっと頻繁にルールを破っていれば良かったと思う。どうせ不要になれば捨てられるのだから、いい想い出だけもっと作ってあげていればよかったと思う。後悔だけが残るが、「きっぱり」と最後は尊厳を見せてくれたことがせめてもの救いだ。どんな人も誰にも何にも犯されない崇高な人権がある。懸命に隠していた誇りをやっと見せてくれて僕は救われた。若くてチャーミングな彼女たちが国に帰り、家族と共に再び楽しい日々を暮らしてくれることを願う。