眼差し

 最後の挨拶に来たベトナムの女性達にこれからどうするのと尋ねたら、それぞれが一様に帰って勉強しますと答えた。1年から2年の間、日本で単純労働を強いられ、域外に出ることを禁じられて働き続けた彼女らが、積極的な答えをしたのが嬉しい。  ある人は、薬局の販売員になるための勉強、ある人は、コンピューターの専門学校、ある人は、日本語学校に行くと言っていた。決して豊かな家の出ではないだろうが、向学心は強くて20才前後の彼女らの帰国してからの実り豊かな生活を祈るばかりだ。帰国の前に嬉しい知らせがあると言って教えてくれたのは、その中の2人が、日本語検定の3級と4級にそれぞれ合格したことだった。道理でつい通訳の女性に話しかけても、間髪を入れずに彼女たちが反応していたはずだ。通訳の女性も、直接話してくださいと僕に促した。 別れに涙が出ないのは、彼女達が心から帰国を喜んでいること、帰国して新しい仕事を探すこと、又日本語も含めてもっと勉強したいことを知ったからだ。帰ったら皆それぞれの故郷に散らばるらしいが、オートバイで走れば3時間で会えますよと軽く答えた。テレビでよく見る光景、オートバイが町中を埋めている光景にとけ込むのだろう。  今度は、旅行者として堂々と訪ねてきて、そして我が家に何ヶ月でもいいからホームステイしたらと皆を誘ったら、3級をとった女性が「10人でもいいですか?」と冗談を言った。「勿論いいよ」と答えたが、わずかの間に冗談が言えるほど、良く日本語を勉強したなと感心した。こんなに向学心がある人達なら本当に10人でもいいのだ。自由をかなり制限されていた彼女たちに、何故か申し訳なさを感じてしまうのだ。後進国という理由だけで上から目線で接するこの国の 一員として居心地の悪さを感じてしまう。何かで、何かの形で償いたいといつも思っていた。  偶然だが、この数年、東南アジアの人達と沢山接して暮らしてきた。わざわざ日本にやってきて懸命に働き暮らしている人達だ。単なる青年と単なるおじさんの交流だが、言葉の壁を乗り越える笑顔で接することが出来た。生粋の岡山弁で通す僕を、懸命に理解してくれようとする眼差しが目に焼き付いている。だれも美しい目をしていた。この国の人が忘れかけている眼差しのように見える。