語録

 昨日かの国の子4人と7時間一緒に過ごしたが、その間でもなかなか味わいのある会話が出来た。ひょっとしたら今一番真剣な内容で話が出来るのは彼女たちかもしれない。彼女たちといると9割は笑ってたわいもない会話をしているのだが、残りの1割は日本人ともなかなか出来ない内容の話になる。とても外国人と話しているとは思えない理解力に助けられて。  かの国の名前を付けて○○○○語録としてとっておきたいくらいだ。思い出しながら書いてみたいが、1日あいたのが悔やまれる。もう頭からかなり?ほとんど?飛んで行っている。  東大寺で入場券を買って彼女たちに配ると、「なんで日本のお寺は参るのにお金がいるんですか?○○○○では無料です」と言ったが、言われてみるとその通りだ。仏を拝むのにお金がいるのは矛盾している。何の抵抗もなく入場券売り場に向かう自分の思慮の足りなさを思った。  人になついて向こうから近づいてくる鹿達は、近くで見ると結構毛が汚い。飼い犬くらいしか近くで見る機会がないので、そしてそれらは十分世話が行き届いて往々にして毛並みがいいから、鹿の毛の汚さが目に付いた。僕が「ブラッシングでもしてあげればいいのに」と言うと、一人の子が「それは鹿にとって気持ちのよいことかどうか分かりませんよ」と言った。「なるほど」と一瞬で脱帽。  今回奈良を訪ねたのは、大学に留学生としてきている4人に会うためだったのだが、もう一つ重要な目的があった。この春帰国した子が、日本に来たがっているのだが、彼女が来ようとしている語学の専門学校がどうも腑に落ちないのだ。実際に訪ねたり、インターネットで調べた内容を持って彼女たちの意見を聞きに言ったのだが、一通り僕が説明をすると「あやしい」と一刀両断だった。どう見ても勉強の為ではなく、勉強を隠れ蓑とした募集のように見えるというのだ。  来年岡山の別の外国語学校に○○○○人が大挙やってくるらしい。その学校は実績もあるし、200人という数字を聞いたから安心材料としてその説明をすると意外にも「だめ、そんなに回りに○○○○人ばかりだったら日本語ではなく○○○○語で会話をしてしまうから、日本語の勉強できない」と言うのだ。これは僕の発想にはなかった。安全で安心でいいだろうと思ったのだが、向学心旺盛な4人ならではの得難い助言だった。  大学がある街の駅に早く着いた僕が彼女たちを待つ羽目になったのだが、一人が少し遅れてきた。聞くと17時間連続でアルバイトをしていたらしい。それだけ働いて、やっと授業料や生活費を捻出できる。そこまでして学ぶ彼女らの口から不満は出ない。学ぶこととはこんなに喜びなのかと、かの国の子達に接する度に思う。そして数十年前に授業にも出ずに、パチンコのバネばかり弾いていた自分を恥じる。僕が彼女たちに何でもしてあげたいと思うのは、自身の青春時代への懺悔の気持ちなのかもしれない。車窓から見える大阪の街の灯りを見ながら、空しい時間をただただ消化していた当時のうらぶれた自分の姿を思い出していた。