雨期

 国へ帰ってもしばしば日常を報告してくれる。同じ町に住んでいた時と何ら変わりない意志の疎通が出来る。僕のもっとも苦手とする分野だから良く分からないが、ベトナムに帰っても日本語でメールをくれる。日本語が使えるパソコンを持っているのだろうかと、素朴な疑問を持つ。もっとも英語でもベトナム語でも僕には通じないから選択肢はないのだが。 あちらでは超有名な大学の出身だったが、こちらでは通訳という職種よりも寧ろ単純労働者として扱われた。それでも我慢して働いていた。向こうの生活レベルがどのくらいなのか分からないが、もっと残業したいというようなことも時々言っていた。驚くほど安い賃金だったが、彼女らはよく働いた。健康を害さなかったのが何よりだ。  帰国してしばらくの間、仕事が見つからなかったらしいが、やっと見つかった。新設される美容学校の教材を翻訳しているらしい。日本語の検定試験1級を受かった人だからまさに適任だ。やっと、自分の力を評価されたのかも知れない。通訳という肩書きで雇われ、単純労働を強いるようでは本当の評価とは言えない。日本に対して嫌悪感を抱いていないかずっと気になっていたが、その種のことは口には出さなかった。ただ時々、薬局に来ては泣いていた。口に出さない分よけい哀れだった。  ベトナムは今雨期で雨ばっかりらしい。日本、それも瀬戸内の雨の少ないところで過ごしていたからさすがにこたえるみたいで冗談に似た愚痴がこぼれていた。晴れの国岡山は気持ちよかったのか、あるいは深い帽子、大きなマスクで顔をかくした独特の格好はこの地の人には珍しかったが、強烈な紫外線は彼女たちには実は辛かったのか。2年ぶりの家族との再会をとても楽しみにしていたが、それを語る文章は少ない。嘗てと同じように横たわる日常に立ち向かっているのだろうか。笑顔だけが安全を保証するような異国の地で過ごした2年間は、まだ見ぬメコンの流れのほんの一つのさざ波にもなり得なかったのか。