餅は餅屋

 苦手なことはいっぱいあるが、これも筆頭に来そうなくらい苦手だ。それなのに何故かそんな場を選んでくれる。昨日の瀬戸内市国保委員会というのもその中の一つだ。牛窓町からは薬剤師が代表で出ることになっているらしいから、もう数年出席しているが、未だ場違いな感から抜け出れない。いや、永久にその感覚はなくならないだろう。  何が苦手と言って、数字の羅列ほど悩ましいものはない。延々と入ってきたお金や出ていったお金が詳細に書いてある。億の単位の話の中に、1円単位の話が詰め込まれていて、最後には、何が問題なのと一言で尋ねたくなる。結論だけ言ってと冒頭からお願いしたいくらい、数字の意味が理解できない。いや、数字どころか、職員の方が話している単語さえ分からない。ただただ、専門の方はすごいと感嘆するだけだ。こんなに細かいことをこなしていてくれる人がいて市も回っているんだと、数人の職員をみていて思った。もっとも感慨にふけっている場合ではないのだが、出る幕がないと言えばそれまでだ。  昨日の会議に住民代表みたいな肩書きの人も出席していた。今年が委員の交代期らしくて、新顔の中の一人が結構親しい人で、ある町の助役をしていた人だ。その人は会議が始まるやいなや、職員の説明と同時進行で問題点をピックアップしていた。これには正直驚いた。確かに30年以上その種の仕事をやってきた人だから、数字は得意なのだろうが、羅列にしか見えない数字の配置から何でそんなことまで読めるのだろうと、ただ舌を巻くだけだった。  餅は餅屋とは旨いことを言ったものだ。餅屋さんとは言わないが、彼も又職人の域に達しているように見える。必ず光り輝やき絶賛を浴びるとは限らないが、誰にもそれぞれの個性と特技が備わっている。そうしたもので人の役に立ち喜ばれ、自分の存在を愛おしみ生きていけれるのだと思う。  今夜薬局を閉める頃若い女性が入ってきた。それから1時間半くらい話をしたのだが、鬱を再発したと言いながら入ってきた彼女は、帰るときには、鬱じゃないと言って帰っていった。死ぬことばかり考えていた彼女が半年くらいでどんどん元気になってきたのは、ある人から必要とされたからだと言っていた。僕は僕の漢方薬が効いていると思ったのだが、そんなことどちらでもいい。人に頼られ助言を求められた時、彼女の辛い過去が生きた。無駄なことなんて何もない。みんなみんなとても素晴らしい存在で、固有の能力を持っている。教室で学び数値で評価されたものなど取るに足りない。体温のある知恵は誰もが持っている。人の心は氷点下の中でもちゃんと36度5分の暖かさを保っている。「鬱は移る?」って本気で聞いてきたが、沸騰しそうないい顔で田舎の夜に出ていった。