二酸化炭素

 又やってしまった。折角頼まれたのだから、楽しくやれればいいなと思っていた。唯そこは学校だから自ずと制限はあるだろうが、行く前の服装からもう僕にとっては、単なる日常の延長でしかなかったから。  何年も着古したジーパンに、さっきまで2階で毛布代わりに室内犬に掛けていたブレザーもどきを羽織って出かけた。本当ならセーターのままで良かったのだが、あまりにも寒かったので犬が使っているのを拝借した。そのブレザーもどきにしたって、息子がお古で10年くらい前にくれたものだから、年季が入っているし犬の臭いも染みついている。およそ教壇に立つ姿ではないだろう。授業を担当する先生が写真にとってもいいですかと言われたので、即座に断った。昔から写真は苦手だ。写されるのも写すのも、何故か知らないが苦手なのだ。  教室内の環境、例えば二酸化炭素の濃度や照度、気流などについて実際に器機を用いて調べるって授業だったが、牛窓中学の生徒は真面目ではにかみ屋が多いから、僕の普段通りのしゃべりにも乗ってこない。ギャグを連発したが、笑いを必死でこらえている姿ばかりが目に留まった。誰か一人が声を出して笑えばせきを切ったのかもしれないが、さすがに授業を受ける姿勢の生徒達なのだ。でも、これは自慢話なのだ。ぐれる機会も少ない田舎町の大いなるメリットだ。不愉快な光景を目撃することが少ないって、何にも代えられない心地よさなのだ。  生徒達に器具の操作方法を教えて、僕は退室していた。30分後に覗いてみると、生徒達が生き生きとした表情で、それも楽しそうに器具を使って作業をしていた。始まりの時の空気は単なる僕に対する遠慮だったことが良く分かる。所詮僕は彼らにとっては来訪者なのだ。先生との楽しそうなやりとりが、懐かしかった。都会の高校に行くためだけにがむしゃらに問題集を解いていたあの頃、何の将来も描くことは出来なかったが、まさかこの子達に、がむしゃらの結果がこの程度だから、余り頑張らないでとも言えない。  二酸化炭素の濃度があまりにも高かったので「数学が溶けないのは二酸化炭素のせいだと言っておけ」「機械を使うのは授業より面白いだろう」と連発したが、生徒達の反応はなかった。言わなければ良かったとすぐに後悔した。僕は子供は苦手だ。得意でない。ストレートなものはほとんど捨て去って、カーブばかりで生きているから、直球のような少年少女の心を汚してしまいそうだ。所詮僕は、あの峠の向こうに何があると、見えない曲がりくねった山道を言葉のわらじを履いて歩くすね人なのだ。合うはずがない。