生活

 今でも後味が悪い。どうして真意が伝わらなかったのか不思議だが、思い込みは、人によってこんなに違うのかと驚いた。  今日は小学校の二酸化炭素の濃度を計りにいった。先生にはいつも通りにしてくださいと言ったつもりだが、先生は、部屋を閉め切って計ると理解したらしい。最初は確かに寒かったから部屋を締め切っていることに違和感はなかったが、30分も経過すると教室の温度は上がるし、二酸化炭素濃度も不快な数字にまで達した。生徒達は顔を赤くして勉強していた。先生も生徒も割と無頓着なのだと僕は勝手に想像して作業を続けた。授業が終わるやいなや生徒達はいちもくさんに窓を開放し、「暑かった」とお互いに言い合っていた。窓を開放した後床に数人が気持ちよさそうに寝転がった。床の冷たさが恋しかったのだろう。気になって生徒達にいつもこんなに締め切って勉強するのと尋ねたら、今日は開けてはいけないと言われていたそうだ。完全に僕の言葉足らずだ。僕にとってあまりにも常識的なことでも、他者にとっては必ずしも常識ではない。このギャップに驚いたし、長い時間不愉快な目に遭せた生徒達に申し訳なかった。  学校から帰ると、癌の夫婦が相談にきていた。僕のスタンスははっきりしていて、病院の治療に負けない体力づくりのお世話をすることに徹している。十分検証されているものだけ使う。癌の治療に医師以外が中心の役割を果たせるはずがない。医師の治療を十分受けれる体力を付けることに協力できれば、良い結果に少しだけ貢献できる。薬局の出番なんてそこだけだ。夫婦の背負っているものを少しでも軽くしてあげたいが、必ず治せれるものに向かう場合と、少しでも貢献するのとでは、沸き出づる「気」が違う。静かなる闘志を押し隠して、知的で温厚な夫婦の幸せを祈る。  夕方、ある老婆がタクシーで乗り付けて薬を買っていった。僕が牛窓に帰ってきた頃、役に立てれないから配達要員をしていた頃がある。その頃しばしば配達した家の奥さんだった。甲高い声もそうだが、面影も十分残っていた。品の良い経済的に恵まれた家の方だったが、今は二重の老人になっていた。別にその変化に驚きもしないが、ページを一枚捲っただけで何十年の歳月が駆け抜ける現実を、恐怖を持って受け入れた。  生活とはこのようなものなのだ。喜び溢れる瞬間などまず無い。眉間にしわを寄せまとまらない思案に、戸外を眺めれれば、珍しく続く冬の長雨に、色を忘れた画家たちが家路を急ぐ。