雑音

 雑音がかなり聞こえたから電話の調子が悪かったのだろうか。あるいは泣き声に聞こえたから、旨くしゃべれていなかったのだろうか。  若いセールスが、当方が調剤してある医師に渡すように頼んだ薬を届けることが出来なかった。薬が届くべき日に届かなかったので、医師は慌てて当方に電話してきて、急遽作り直した薬でなんとか患者さんに迷惑をかけることはなかったみたいだ。よその町から医師本人がわざわざ取りに来た。かなり慌てていたから急を要していたのだろう。おかげで医師に初めて会うことが出来た。依頼されて何人かの患者さんの薬を作っているのだが、この人が処方しているのかと、何となく薬が立体的になる。  昨日の出来事で僕はもう忘れていた。すると今朝セールスから電話があった。それが書き出しの文章の情況だったのだ。彼はひたすら謝った。何回も謝った。とても真面目で好青年の彼が、忘れるとしたら何かあったに違いない。尋ねると、嘔吐下痢の風邪にかかったらしい。これは体験者なら容易に分かると思うが、バスか船に酔っているのと同じ状態だ。激しい二日酔いにも似ている。繰り返し襲ってくる吐き気と腹痛と下痢にひたすら耐えるしかない。(ここで宣伝、漢方薬が病院の薬より遙かに効く)一人暮らしの彼だから、余程辛かったに違いない。僕がお願いしていた薬のことなど完全に忘れていたとしても、決して責めることはできない。僕は原因が分かったから、「地獄だっただろう。全然気にしなくていいよ」と笑いながら答えた。悪意がないのだから、全然問題はない。問題があるとしたら、純粋な彼が医師から叱責されて落ち込んでしまうことだ。恐らく僕より前に医師の方にお詫びの電話をしているだろうから、願わくば医師が度量を見せて、おおらかに笑ってすませていてくれたらと願わずにはおれない。ところが電話の様子から、かなりのダメージが感じられた。僕らは医療に関わる職業の端くれだから、病気を理由に不都合があってもそれを攻めるようなことは出来ない。残念ながら、この世界には、いや、どの世界も同じか、強烈な上下関係があるみたいで、セールスなんかびくびくしている。何故かとても善人が多い職業で、僕なんか、こちらが頭を下げたくなるのだが、彼らの方が深く下げてくれるものだから、腰痛持ちの僕はもうかなわない。薬剤師ごときにぺこぺこする必要はない。パチプロでも薬剤師になれたのだから。  医療の頂点に位置する医師が、必ずしも人格の頂点に立てるとは限らない。むしろ人格に関しては逆立ち状態かもしれない。いつもちやほやされすぎているから、人間関係を学ぶチャンスが少ないのだろう。受験のプロが職業のプロでも人格のプロでもない。出来れば謙遜を知った医師に脈はとってもらいたいものだ。