心残り

 ある大きな病院で、「みんなで語ろう、これからの高齢者医療」と言うシンポジウムを行った時、自分が高齢者になったら積極治療を希望するか、という問いかけを全員にしたそうだ。すると30人全員が「希望しない」と答えたそうだ。医療従事者の中には、医師や看護士だけでなく事務員や技師、栄養士も含まれていた。実際に高齢者と接する職種だけでなく、裏方の人までが「希望しない」と答えたことが、参加していた人にとっては驚きだったようだ。  このような話題を目にすると、父の時のことを思い出す。結局半年間、ベッドから降りられずに、人工呼吸器でただ生きていた。意志の疎通がほとんど出来ず、口から何もとれず、チューブで直接胃の中に栄養を入れていた。食事が間違って気管支に侵入して肺炎を起こしただけなのに、病院に入っている間に見る見る体力を失い、結局は気管を切開され、世に言うチューブ人間になってしまった。折角長生きして、それなりに楽しい人生を送ってもらったのに、最後がスッキリしない。思い出したくない、触れたくない一時期になってしまった。  心残りは、好きだったリポビタンを飲みたいと意思表示しているときに、口から入れることを禁じられているから、まるで幼子を諭すように、それは出来ないと返してしまったことだ。意味のない苦しみを半年も続けさせられるなら、あの時飲ませてあげれば良かったと、後悔だけは生き続けている。願わくば、経験豊富なはずの医師が、先を説明して欲しかった。先に希望の灯りを期待したから、気管の切開を許したのに、苦しみを与え続けただけなのではないか。病院はその事は分かっていたはずだ。まず、病院の治療に元気にすると言う観点はなかった。いや武器がないのかもしれない。まるで自然治癒力だけに依存しているようで、自然治癒力を増強するような治療は全くなかった。あの時気管を切開さえしなければ、我が家にある武器を自由に使えたのに。  出席者全員、その辺りの事情は良く分かっているのだ。父の時も、経済がちらほら見え隠れした。命もお金に換えられていると思った。長く患うことで潤う人がいると感じた。救急車で運び込まれたところが不運だったのか、消してしまいたい記憶の筆頭にあの頃がある。経験しないと分からないことなのかもしれないが、親は二人しかいない。練習出来る問題ではない。