落差

 昔ながらの薬局で、スペースがとれないものだから、介護用品の部類ははなはだ在庫が少ない。申し訳程度に、間に合わせ程度にしか置いていないのだが、最近とみに需要が増えて、問屋さんから週2回結構な量を運んできてもらっている。(もっとも、普通の薬局に比べたら、それでもかなり少ないと思うが) 寒さが増して、体調が悪くなった人が多いのかもしれないが、僕の薬局の特徴は、使う本人がとりに来ることが多いと言うところだろう。例えば奥さんやお嫁さんが取りに来る場合もあるが、本人が自分の尿漏れの使い捨てパンツを取りに来るケースが増えている。家族が用意するのだったら、きっと大きなドラッグストアにでも行って買いだめするのだろうが、本人の場合はそんな体力もないし、経済のことなんか考えない人が多い。大きな紙パンツの袋をぶら下げて帰っていく。気になる人には包装紙で隠してあげるが、意にもとめない人も多い。長寿社会で、誰もが行き着く光景として認知され始めたのだろう。そう、誰もが行き着く光景なのだ。長者番付の常連も、オエライ政治家も、ハンサムな俳優も、有名スポーツ選手も。誰もがある時期おしめをしてズボンを異様にふくらませるのだ。そんなに悲観することはない。いくらお金を積んでもそればかりは防げない。恵まれた人生を送った人は落差が大きいだけ失望も大きいだろう。現在の日常が、おむつよりチョットだけましなところで暮らしている人は、落差がほとんどない。恐るに足りずだ。ビルの上から飛び降りることは出来なくても、石段の一つや二つなら飛び降りれる。今の生活が2段分の生活なら落ちてもしれている。超低空飛行の鳥は落ちても羽を傷めない。こうでも思っていなければ、年の瀬が辛すぎる。サンタクロース(聖ニコラウス)は持ち物を売り払い、貧しい人々に使ったそうだ。路上にサンタクロースは現れるのか。老いた孤独にトナカイの足音は聞こえるのか。