子犬

 お店の人には申し訳ないが、買う気もない、全くの冷やかしだ。雨が降っていたから、商店街のアーケードの下で時間を潰した。一番居心地が良かったのは、ペットショップだった。まるで熱帯魚を飼う水槽みたいなケースの中に沢山の子犬が1匹ずつ入れられていた。どの客が買いそうかなど店員さんには分からないだろうから、堂々と店内をゆっくり一巡できた。ケースは30くらいはあったと思う。どれも犬種が書かれていて、少なくとも雑種は1匹もいなかった。売買の対象にはならないのだろう。あげるもの、もらうものなのだろう。知っている犬種名もあったが、ほとんどは知らない名前だった。愛犬家でない証拠に、まず犬を見てからすぐ値段を見てしまう。下は5,6万。上は20万円を超えていた。その数字の価値を計るのにすぐ浮かんだのが、最近しばしば登場する、派遣労働者の給料だった。ああ、彼らが1ヶ月働いた金額を超えてしまうのかと、なんだか切なくなってしまう。  ケースをのぞき込んでいる人達は何故か若いカップルが多かった。僕と同じ冷やかしかどうか分からないが、店員さんとかなり話し込んでいるカップルもあった。ほとんどが何故か眠っているのだが、1匹とても元気で、ガラス越しにお愛想をする犬がいた。とても仕草が可愛かったので自然とさすがの僕もつられて微笑んでいたのだと思う。すかさずそれを見つけただろう若い女性の店員さんが「犬がお好きなんですね」と言いながら寄ってきた。ああ、ついに来たなと思っていたら「中から出して抱いてくださってもいいんですよ」と、恐らく一番効果的な言葉を続けた。ここで押し切られて抱いたりしたら、買うはめになってしまいそうなので「僕は犬は苦手なんだけど、家族が好きなもので」と訳の分からないことを言って、距離を保った。ただ見ているだけでも、1日中ケースの中に入れられているストレスを想像すると買ってでも出してやりたいと思うのに、チョットでも触れてしまうとつい買ってしまいそうだ。その心理は恐らく店員さん達は熟知しているはずだ。  もし押し切られて買ってしまい、家に連れて帰ったりしたものなら妻が怒って・・・ではなく、きっと喜ぶだろう。大の犬好きだから、口では怒って、実際には喜ぶだろう。ただ、そうすると僕の順列が又一つ下がってしまうので、意地でも今の順列にしがみついていなければならない。今でも2匹いるのだから、もう1匹増えると、その他大勢になってしまいそうだ。  アーケードを抜けると煉瓦敷きの歩道が滑った。足を取られまいと変に踏ん張りながら歩いた。冷たい雨が、切り捨てられる人の心を凍らせる。1ヶ月懸命に働いて、子犬1匹分の人生。同じ檻の中。