めんどくせい

最初は、遠くで少年同志が話しているように聞こえた。そのうち声が少し近づいてきて、話していると言うより呼びかけているように感じた。自転車にでも乗っているのだろうか、声が近づくのが意外と早くて僕が歩いる空き地にかなり近づいてきた。県道には街灯が一つだけついているので、その下を通ったときは誰だか分かるかもしれないと思い目を凝らしてみたが、誰も通ったような気配がない。もっとも空き地から見えるとしても一瞬だから、見えても誰だか分からないだろう。声の主は、はっきりと大きな声で「めんどくせい」と叫んでいた。大人になりきっていない、あたかも変声期の少年が出にくい声で懸命に叫んでいるかのように聞こえた。「めんどくせい」「めんどくせい」と、通り過ぎるまでの1,2分の間に10回くらいは叫んでいただろうか。  どのくらいの年齢の子かわからないが、余程めんどくさいことがあったのだろう。誰に向かって叫んでいるのか分からないが、夜空に届くわけでもないだろう。叫ぶことで全部吐き出して、スッキリとした頭と心で又玄関をくぐれたらいいのにと同情する。少年が叫んでいた次の日から中学校で期末試験が始まる。もしかしたら中学生かもしれない。親に勉強を強要されて叫んでいたのか、あるいはもう少し年上の少年が、受験勉強から逃れて家を飛びだしたのか、あるいは何か用事を頼まれて断るに断れなくてプレッシャーになっている少年か。  たった一言を町中に聞こえるような声で繰り返し叫んでいた少年に何があったのか想像の域を出ないが、何か重くのしかかっているものがあるのだろう。それが他者や自分の破壊に繋がらなければと思うし、又僕自身にもそう言った頃があったのだろうとも思った。偶然傷つけることなく混乱の青春前期をやり過ごすことが出来たが、そこで躓く少年達も多い。親の望む型枠に強引に誘導され、拝金主義がはびこる社会が望む歯車になるのだったら、今の全ては「めんどくせえ」創造的な自由がないなら、自虐的な自由に身をさらす。努力の先が見えているなら、努力の先が使い捨てなら今から「めんどくせい」夢は見るものではなく、諦めるものなら今この瞬間も「めんどくせい」  夜道を叫びながら自転車を漕いでいた少年の一寸先を照らすたった一つの外灯も「めんどくせい」と魂が切れかけていた。