舞台

 驚いて、喜んで、胸をなで下ろした。  朝早く放送塔から区長の声が流れるとほとんどがお葬式の案内だ。どこの誰が亡くなり葬式はどこで何時から行われると案内がある。僕の町だけのことか、他の田舎町にもあることなのかは知らない。  つい最近もその放送があった。まだ頭は完全に覚醒していなかったし、放送の声がわれて聞きづらかったこともあるが、○○さんが亡くなったことだけ分かった。その日曜日には、ある人と行動を共にする予定だったから、妻と葬式に行くかどうか、またはお供えを誰かにことづけるかを話し合った。○○さんは病院で出してもらっていた便秘薬をわざわざ取りに行くのが不便で僕の薬局を利用してくれているだけだから、まあいいかと言うことになった。妻は、若干後ろ髪を引かれたみたいだったが、朝早い出発のため何となくうやむやのまま出かけた。  薬局の裏で休んでいると、聞き慣れたろれつの回らない声が娘を相手にしていた。声といい、しゃべり方と言い○○さんそっくりだった。○○さんは脳梗塞の後遺症のリハビリ代わりに意図的に奥さんが買い物によこしていた。あれっと思って覗くと、なんとまぎれもなく○○さんがいた。驚いたけれど嬉しかった。ご主人と同じ名字の人がいるのと尋ねたら、近所にいるらしい。それで全てが解決した。てっきりその名字の人は僕の地区には1件だけと思っていたから、名字を聞いただけで決めつけていたのだ。葬式に出席なら会場で気がつくだろうが、香典をことづけるのだったら完全にアウトだった。まさに胸をなで下ろした。  誰も気がつかない日常の隙間で、小さな小さな舞台が繰り広げられている。俳優も演出家もいない。だけど舞台は延々と続けられる。人生とは観客のいない舞台に上がり続けることかもしれない。