介護

 もう彼女は、お父さんを何年看病しているのだろう。ひょっとしたら10年は越えたのではないか。血圧が高いことなどもろともしなかった豪傑だったが、ある日逝きそこなった。以来、奥さんが働いてお嬢さんが世話をしているみたいだ。若くは見えるが恐らくお嬢さんも中年が近いのではないか。冬には冬の、夏には夏の着古した服装の女性が、、紙おむつを持って帰る姿を見るのは忍びない。新聞紙や包装紙で包んで分からなくするが、いつもそれだけのことにも感謝してくれる。  最近になって時々ツケを要求される。何日まで待ってと小さな声で申し訳なさそうに言う。当方にとって好ましいことではないが、仕方がない。もし拒めば、お父さんは瞬く間におむつかぶれを起こしてしまうに違いない。また家中に尿の独特の臭いが充満するだろう。そんなこと簡単に想像できるから、又いたいけに看護しているお嬢さんの様子を見るとむげに断ることなど出来はしない。お互いが分かる田舎の薬局では当たり前だ。  ただ、時々こんな暗黙の了解を裏切る人がいて、数ヶ月服用している薬を最期は数回ツケにして姿を現さなくなる輩もいる。田舎の人間にしてはおしゃれで、時には家族旅行に出かけたりして、経済は問題なさそうに見えるのだが、いとも簡単にこちらの真心を踏みにじる。一度踏みにじられるとそこから回復するのに少し時間を要してしまい、あのお嬢さんのような人に遭遇したときに健全な態度がとれなくなる。負の心の連鎖など当人は考えても見ないだろう。  お上が全員にお金を恵んでくれるらしい。紙オムツを買えない人も、遊びのためなら良心を踏み倒す人も同じように恵んでくれるらしい。その金額が取るに足らない人にも恵んでくれるらしい。お上はそれで何を買おうとしているのだろう。まさか下々の人間の心を買おうとしているのではないだろうな。それならあまりにも安すぎる。心を買える金額などない。買えるのは唯一反感だけだ。恵んでもらえば屈辱感だけが残る。お金は必要な人のところに届けられるべきだ。声を上げれないほど懸命に生きている人達に。恐らくそんな人は一杯いる。耳を澄ませば聞こえてくる、主張することが苦手で臆病な人達のうめき声が。