コロッケ

 「車の持てない私にとって、高速道路が安くなろうが、石油が安くなろうが他人事のように聞こえます。公園で百円のコロッケを食べながら、過ごす休日だけが、唯一の楽しみです」  ある男性から薬の注文を受けたとき添えられていた文章だ。今日は何回となくこの文章が頭に浮かんできて切なくなった。いやいや、この文章で世俗を超越した生き様を感じ、歓びのおこぼれを頂戴すればいいのか。解釈は前者に分がある。  僕の薬を飲んでくれている人の中に、彼と同じような働き方、生き方をしている人は多いのではないかと思う。巨大な社会の歯車の一つになって懸命に毎日を過ごしながら、報われることの少なさに不満を届ける場所も持たず、疲れ果てた心と身体にむち打っている人達が。社会の多くをこの人達に負っているのに、なんて冷徹な世の中なのだろう。幸運な一握りの人のために太陽は光を注ぎ、小鳥はさえずるのではない。地を這う虫にも光は届き草は芽吹く。  都会の公園の風景を知らない。池がありカモが泳ぐのか、遊具の上で子供達の歓声が響くのか、借景にいくつもの摩天楼をいただくのか。油の移った紙袋からおもむろにコロッケを取り出し口に運ぶ男性の顔も声も僕は知らない。でも今日、僕の頭の中に彼は顔も声も持って生きていた。