仕事

 恐らくお母さんがお嬢さんのことを心配して連れてきたのだろう。違う人を応対している間二人並んで椅子に腰をかけて待っていてくれた。ちらっと見たときには二人とも見覚えがあったが、偶然同時に入ってきたのかと思っていた。二人の前に僕が腰をかけても動こうとしない。「知り合いなの?」と尋ねると実の親子だと言う。そうしてみれば何となく似ている。70才は越えているだろうお母さんは、この数年膝の痛みでお世話をしているからすぐ分かったが、お嬢さんの方は以前仕事の関係で時々尋ねてきていた人で、面影は十分ある。当時は若い独身女性だったが、今はお子さんもいる中年女性になっていた。 二人を応対して2つ感銘を受けた。お嬢さんの体調について話を聞いている途中で、手先が冷たいという話題になった。お嬢さんはお母さんの手を取って「これ、こんなに冷たいんよ」と言った。お母さんは娘の手先の冷たさに驚いていた。しばらく話を聞いていて僕が用事で席を立ったとき、机越しでは見えなかった二人の下半身が見えた。するとまだ二人は手を握ったままなのだ。恐らく10分はそのままだったのではないか。なぜだか僕は見てはいけないものを見たような気がした。何故なら僕にとってはあり得ない世界なのだ。きっと二人の情愛は深く自然なものなのだろうが、およそその種の光景に縁無く育った僕にとっては、まるで小説か映画の中の世界でしかないのだ。目の前で展開された光景に圧倒された。愛情深い家庭を築いたお母さんに脱帽。時々遭遇する親子愛は、ほとんどが母親とお嬢さんだが、幸せのおこぼれをくれる。  もう一つ感心したのは、お嬢さんがずいぶんと立派な大人になっていたことだ。僕のところに仕事で来ていた頃はまだ若くて、棘がずいぶんとあった。身につけるべきものがまだまだという感じだった。ところが今日の姿は、外見は勿論嘗ての彼女にほど近かったが、物腰、言葉使い、気配りなどは格段の違いがあった。むしろ付け入る隙がないほどで、それも全く自然なのだ。何がこんなに成長させたのか分からないが、恐らく、家庭を持ち、お子さんが出来るなど、守るべきものを沢山手に入れたからなのだろう。守るべきものを守るのは自分の力では限界がある。周りの人、地域の人、社会全体に守ってもらわなければ守りきれない。恐らく彼女の中に感謝の心が多く芽生えたのではないか。若いときは一人で生きていけるが如く傲慢になり勝ちだが、それでは大切なものを失ってしまう。いや、大切なものを手に入れることすら出来ない。  この仕事をしていて良かったと思えることが時々ある。今日はまさにその日だった。