交通費

 薬剤師会の代議委員会に出席したら、交通費として5000円もらった。働かなくてお金がもらえることはこれ以外にないので、何か買ってやろうと最初から考えていた。ひょうたんから駒のお金は、あったらいいけれど無くても何とかなるもの、そんなものに使うに限る。帰り道の商店街に、大きな楽器屋がある。そこでギターのカポを買った。最新式のカポで数日前鍼の先生が使っているのを見て、狙いを定めていた。  カポが意外と高くて、夕食にラーメンを食べることにした。時々行く中華料理店で食べていると、僕より一回りも二回りも大きい人達が沢山いて、一杯注文している。運ばれてくるのを眺めているだけで、その脂ぎりように胃袋が重くなってくる。美味しそうに口に運ぶ人達を見てなんて生命力の持ち主なのだろうと思う。余程好きなのだろう。若いときだって、あれだけ食べれただろうかと自信をなくする。  愛の反対は憎しみだと思っていた。ところが愛の反対は無関心なのだそうだ。僕は今日中華料理店の中で大いに愛を実践した。お客さん達が口々に注文する料理の名前と実際が関連づけられなくて、運ばれてくるものをのぞき見しては、内容を覚えていた。無関心どころか、興味津々でこれ以上の愛の実践はない。  無関心だったのはむしろ代議委員会の方だったかもしれない。来春から、余程の薬でない限りどこででも売れるようになる。何十年も、細心の注意と、エンドレスの勉強をして従事していた業務が、いとも簡単に他業種に移る。今までの努力が何だったのかと思うが、規制緩和という誰かの利益のために、国民の薬への正確なアクセスが混乱する。最近、しばしばヤマト薬局を利用してくれる男性がいる。テニスで焼けた健康そうな肌も、皮膚病の宝庫みたいになっている。ベンツでやってくるから、恐らく定年後に風光明媚な牛窓に越してきた人だと思う。その人が言うには、今まで結構この皮膚病にお金を使ってきた。一杯薬を買ったけれど全然効かなかった。だけど、ここに来てから、症状を確認して、薬を出してもらったからほとんど治った。やっぱりこんな薬局でないといかんな。ところが都会にはもう無いんだよなと。  薬剤師会を構成する薬剤師もほとんどが、調剤薬局の人達になった。医師の処方箋で薬をつくる薬局だ。だから、今度の規制緩和もあまり影響がないらしく、動揺はない。僕は、医師にも、カウンセラーにも、宗教でも救えない人を沢山知っている。それらの人達はいったいどこに行くのだろう。その事に薬剤師会が無関心すぎるのではないかと思った。町の薬局だからこそ、細かい目が配れて、医療の世界から落ちこぼれる人を救えるのに。経済さえ保証されればそんなことはどうでもいいのだろうか。権利を失うのではなく、小さな愛を実践できる機会を失うことに思いをはせていない。所詮業界団体だからそんなことを期待するのは無理なのか。  どこまで時代遅れで頑張れるか分からない。でも、僕のところにやってきたり接触してきてくれる人に無関心ではおれない。だって、気の毒なほど繊細で、不器用で、愛すべき人達ばかりなのだから。大切にして欲しい個性そのものが、重荷になっている人達ばかりだから。腰痛持ちの僕だから半分荷物を引き受けることは出来ないが、傍を遅れて歩くことぐらいは出来るだろう。