若い力

 もうずいぶん前に、鮮やかな緑色のウインドパーカーを着て選挙用のポスターを貼っている男がいた。若い現職の国会議員だが、本人と名乗らないと気がつく人は少ないのではないか。娘は気がつかなかったらしいがさすがに僕は気がついた。その時はありきたりの外交辞令だったが、今日は短い時間だが思いの丈を話させてもらった。 彼が薬剤師向けの挨拶文を持ってきたからなのだが、その様なものが無くても今度会ったら話したいと思っていた。親しくはないのだが自然な笑顔で入ってきたので、持論を展開した。 以前、薬剤師会の代議委員会でどうして薬剤師会はある政党を支持し続けているのか尋ねたことがある。会長は「与党だから」と答えた。これには質問した僕は思わず笑ってしまったのだが、質問の内容が会にとって好ましくなかったのかどうか知らないが、会場には失笑すらこぼれなかった。薬剤師ならもっとしっかりした倫理に基づいて支持しているのかと思ったら、単に都合がよいからだけだったのだ。調剤報酬を上げてもらえばそれでいいのだ。下品な言い方をすればお金をくれるところを支持するってことだ。こんな理屈に若い薬剤師が従う筈がない。それが証拠に、国会議員が集会に顔を出すと会場から帰るは帰るはで人が減ってしまう。残っているのは薬局の経営者くらいで、それも義理で残っているだけだ。多くの薬剤師は現在ではほとんどが勤務だから、経営者達とは本来対立関係にある。一言で薬剤師とくくっても、利害は対立している。そんな薬剤師に集票能力はない。  若くてさわやかな国会議員に、票としての薬剤師としてみて欲しくなかった。彼に期待するのは、そんな前時代的な関係性ではない。薬剤師にとって都合の良い仕事をしてもらわなくたっていい。薬剤師は充分恵まれた生活をしている。それよりもあらゆる階層に目を配り脱落していく人達を救うことだ。そうした発想が出来る人なら、薬剤師としてではなく、まず社会人として支持するだろう。肩書きを持った人間より、肩書きをはずしたときの方が数段純粋な発想が出来る。政治家も見返りほしさの行動は控え、信念を訴えて欲しい。不必要に有権者にこびず、逆に威張らず、「若い力」を持ち続けて欲しい。