原始的

 隣町に帰省した人が、持薬の便秘薬を忘れてきたと電話をかけてきた。あいにく同じ漢方薬を在庫していなかったので、 症状にあわせて漢方薬を作れますというと、わざわざ取りに来てくれた。その方が薬局に入ってくるなり「大きな薬局なんだ」とつぶやくのが聞こえた。東京に住んでいるらしく、懇意にしている薬局で便秘薬をもらっているらしいが、その薬局と比べてそう思ったのか、あるいはもっとたくさんの薬局を見て来てそう思ったのか分からないが、僕の気分が悪いはずがない。 ただそういった評価は初めてだから、大きいと言う意味が今だ分からなかった。東京は地価が高いから、薬局も無駄な土地を持たないだろうことは分かるが、それでも薬局の実力があれば広い土地を得、大きな建物も作るだろう。牛窓みたいな坪10万円を切るようなところで広い土地をもっていても都会の人から見れば、些細な価値でしかない。だから大きな薬局と言う感想にどうしても違和感を持ってしまう。実力もないのに「口が大きい薬局、大口を叩く薬局」と言う評価ならすんなり来るのだが、どうもそうではないらしい。「態度が大きい薬局」と言うのも認める。自分では一所懸命勉強してきたから「患者さんの見返りが大きい薬局」を自負しているのだが、初めてお会いする方には当てはまらない。  何代か前の岡山県の薬剤師会長が「大和さんのところのような薬局が本物でないといけないんだよ」と堅苦しい代議委員会がすんだ後わざわざそばにやってきて言ってくれたことがある。その時も僕は何を言ってくれているんだろうと狐につままれたような気分になったが、漢方薬も含めて何でも屋さんであるべきだと言う意味だった。医院の前で処方箋に特化した薬局を彼は好ましく見ていなかったみたいだ。ただその本物は、なかなか存続が苦しいみたいで、どんどん市中から消えている。  僕や娘夫婦がやりたい仕事には丁度よい大きさなのだが、この建物を建てたときに「大は小を兼ねる」と言う教訓を意識しておけばよかったと時に思うこともある。新しい試みに挑戦しようと思っても場所がなければどうにもならないという、きわめて原始的な障害に遭遇してしまうことがあるから。