犠牲

 もったいない。僕の頭を100個集めてもかなわないような人が命を絶った。例の張ったり女性の犠牲になったのだろうが、心療内科に通っていたらしい。そのニュースを見てすぐ感じたことは、100分の一の頭脳しかない僕が言うのはおこがましいが、何で僕に相談しなかったのだろうかと言うことだ。家族やスタッフと話をしていて実際にその言葉を口に出した。心療内科にかかっていたら、恐らく抗鬱薬などを処方されていたのだろうが、その薬自体に自殺を誘引する傾向があることは周知の事実だ。あの女性の犠牲になり、あの薬の犠牲になり、そんなときは田舎に来て、頭が少し足りない薬剤師と馬鹿話をして、緑あふれる丘を眺め、光り輝く瀬戸内の鏡のような海面を眺め、欲望渦巻く都会の偽りに満ちた人間関係を忘れればよかったのだ。忘れられなくても、いくつかの馬鹿笑いをして、鬱積した心を解放してやればよかったのだ。恐らく周りにいるすべての人が華麗なる経歴と実績を持っている人たちだろうから、ただその日その日を何とか生きている人間などと接することは生涯なかっただろう。そうした別世界の人たちの中にこそ人間らしい血が流れていることに気がつくべきだった。

追記 「同僚によると、最近は服用していた薬の副作用で、会話がはっきりできないこともあったという」あんな立派な先生が。結局は張ったり女性に殺され、アホコミに殺され、製薬会社に殺されたのだ。