ゲリラ豪雨

昨日の午後、恐ろしいくらい雷が鳴って雨が降ったと母が言っていた。僕はその時間岡山にいたが、そんな気配は全くなかった。30Kmの距離は、ゲリラ豪雨という最近の名前をもらった夕立には、遠すぎる距離なのか。  素人の単なる感想だが、今年の豪雨のニュースは都会が多かったように思う。大都会で自然災害は珍しいが、最近ではしばしば報道されているのを見る。自然災害は田舎の専売特許みたいに思っていた人も多いと思うが、これでやっと、国民全体が痛みを分かち合うことが出来るかもしれない。台風が上陸してもビルや地下街で遊んでおれる人達にも、危機が平等に迫っている事を認識してもらえるかもしれない。都会に住む偉い人達にも田舎の苦労が少しは分かってもらえるかもしれない。でも偉い人達は自然の猛威などではびくともしない安全なところに住んでいるから、所詮関知せぬ事か。  ゲリラ豪雨なんて特別な名前で呼ばなくても、スコールと言ってしまえばいいのではないかと思う。いずれ亜熱帯になるのだから、突然の雨が日常になっても不思議ではない。先行して雨が降っていると思えば理解が簡単だ。数年前台風で海水が胸の辺りまで家の中に入ってきたときから感じていた。普通ではないと。その普通ではないが日本中で、都会でも田舎でも起こっている。これでもなお、多くを生産し、多くを消費する人間は普通ではない。  老犬のクリは視力も聴力もかなり衰えているので、雷を恐れなくなった。クリには光もしないし、雷鳴も轟かないのだろう。苦手な犬が道路を歩いていても気がつかなくて吠えないし、猫がえさを狙っていても動じない。傍で見ていたら、ずいぶんと犬(人間)が出来たなと感心するが、要は情報が全く入っていないのだ。あの悟りきった雰囲気をちょっとでも真似できれば、僕も達観した薬剤師に見えるのだろうが、過敏気味の僕の五感は、くだらない情報を掃除機のように吸い込んでしまう。見なくていいものを見、聞かなくていいものを聞いている。良いものは、本当に価値あるものは謙遜だから、目をこらし耳をすまさなければ見ることも聞くことも出来ない。