優秀賞

 僕が彼女たちに出来る限りのことをしてあげたいのは、彼女達が現代の「女工哀史」そのものだからなのだ。詳しく書くと彼女たちに不都合が生じるから書けないが、使用者側と同じ側にいるのを本当に恥ずかしく思う。富める国が富まぬ国に一方的に都合の良いルールを押しつけている。一見合法的なのだが、法そのものが不道徳なのだからどうしようもない。誰が誰のために作った法律か見抜く力が必要だ。  彼女に、この国に来て良かった事を尋ねたことがある。悲しいことに無いというのだ。冗談で「先生に会えたこと」と、悲しげな笑顔を作ったが、あながちそれは冗談ではないのかもしれない。こんな僕に会えたことなんか、若い優秀な女性にとって、本来とるに足らないことであるべきだ。同世代の若い友人をこの国に作り、共に働き、共に語り、共に遊ぶべきだ。残念ながら、その全てが彼女らにはもたらされなかった。孤立し、隔離され、言葉の壁よりはるかに高い屈辱の壁に遮られていた。  日本語の勉強は、薬局の中でした。薬を取りに来る人達の前でした。出来る限りの美味しい飲み物とケーキなどをいつも用意した。この町の人達に、僕の最も親しい若い友人達であることを分かってもらいたかった。おかげで、薬局の中で小さな交流も生まれた。彼女たちの、純朴さ、礼儀正しさは、交流してみればすぐ分かる。ほとんどの人が好感を持って受け入れるようになる。  その中の1人が、外国人を対象にした作文コンクールで優秀賞に輝いた。今日メールが届いて、一緒に喜びを分かち合いたいと言ってきた。5000人の応募で、8人の中に選ばれたそうだ。「先生のおかげです」と書いてくれているが、想いを文章にしたのは彼女だ。僕は想いの中にまで入ってはいけない。不本意な日本で終わりそうだが、その不本意を評価してくれた日本人がいた。彼女の想いを受け止めてくれた日本人がいた。僕は、選者の方達に感謝したい。  インターフォンが鳴るから出てみると、彼女たちが6人いた。招き入れて、あり合わせの接待をした。3人がコーヒー好きだから、自慢の機械で作ったコーヒーを飲んでもらった。美味しいを連発してくれた。毎日飲みにおいでと言うと、毎日飲みに来るだけでいいのですかと真剣な顔で答えた。僕にはさっぱり分からないその国の言葉で楽しそうに話している姿を見るだけで、こちらまで楽しい気分になる。幼さが残る彼女たちの双肩に国に暮らす家族の生活がかかっている。「何か僕に出来ることがある?」会うたびに、口をついて出る言葉なのだ。