笑い

 良かった良かった、安心した。懸念が一つ解決したいい日だった。遠くで雷が鳴っているみたいだが、僕の心の中では雷雲が収まった。  本来働き者だった人が病気で働けなくなった。20年前ある処方がぴたりと的中して元気になってもらった。以来、定期的に薬を取りに来ていたが、この数ヶ月何故か止まった。20年にして初めてのことだったから心配した。人一倍元気になり再び働き者で通っている。最近見かけたから元気でいることには違いないのだが、完治するトラブルではないので、気になっていた。  検査の数値が悪化したからと慌ててきてくれた。心配するほどでもないのだが、ずっと良かったから気になったのだろう。薬を中断したことを後悔していたみたいだ。おかげでずいぶんと話が出来た。災い転じて福となりそうだ。  田舎の薬局を知らない方には想像できないかもしれないが、「いつも気にしている」状態で日々仕事をしているのだ。薬局にある薬を売ろうが、自分で調剤しようが、結果や経過はいつも気になっているのだ。皆さんに良く言う「戦いのモード」は実は僕自身なのだ。それを楽しむ体力はとうに無くしているから、今はそれが全部体調に跳ね返ってくる。体中が緊張しているから、筋肉は凝って、内臓は痙攣している。2年前までは、週に1回バレーボールをすれば解消していたけれど、首と腰を痛めて今はもう出来ない。僕をしばしば笑わせてくれた友人は自分で転んで世間の笑いものになってしまった。今は遠い世界にいる。  「戦いのモード」から解放される手段を今は持っていない。毎週お会いする方は、崇高な生き方をされているから目標にはなるが、縮まらない差はプレッシャ-でもある。今更、パチプロにもなれないし、競艇にも通えない。より良く生きるより、より上手く生きるには、それなりの知恵が必要だろうが、そのセンスは元から持っていない。全てを失うのが落ちだ。涙が出るほど、起きあがれないほど、止まらないほど笑ってみたい。それこそ健康的な笑いのシャワーを浴びてみたい。体中の筋肉が弛緩するあの状態を作りたい。体も心も緩んでみたい。  来世は、吉本新喜劇の作家に決めているが、締め切りに追われ、ネタづくりに苦悩している自分が見える。人を笑わせようとして、笑いを忘れている自分が見える。性格は変わらないし、変えれない。個性だと居直るしかない。窮屈な個性だがそれに拠って生きてきた。受け入れるしかないのだ。天高くわき上がる雷雲に、恵みの雨を降らせてと祈る訳にはいかないだろう。