写真

 恐らく僕のアルバムは、中学生くらいまでのしか載っていないと思う。それも新学期の始めに撮るクラス写真くらいなものと思う。もともとイベントなどなかった時代の子供だし、カメラを持っている人も少なく、被写体になるのも照れる時代の子供だったから、写真が少ないのも僕固有のものではないかもしれない。ただ、ひょっとしたらそれ以降の写真もほとんどないとなると結構珍しい人間かもしれない。  かの国の若い女性と行動を共にして驚くことに、彼女達は写真を1枚撮るたびに写された人が集まりできばえを確認する。その作業を丁寧に繰り返すので、移動には思いのほか時間がかかる。もう何年も付き合っているから最近は織り込み済みなのだが、その理由が最近わかったような気がする。もっとも自国でも同じことをするのかどうか分からないから少なくとも日本にいる間のことと限定しての話だが。  僕は、先祖の写真は勿論、自分の写真も子供たちの写真も、ほとんど見ることがない。もっともほとんど撮らなかったのだからそんなに写真が我が家にあるわけではない。見ない理由をはっきり自覚したことはないが、過去の写真を見ることに生産性を感じないからだと思う。過去の写真を見て何かを生み出すことが出来るなら見るかもしれないが、感傷に浸るだけのために僕はそんなことはしない。牛窓に帰ってきて、実力もないのに、体調不良の方の相談を受けることを生業と決めてから、僕には毎日解決してあげなければならない方のプレッシャーが途切れることはなかった。毎日難問を突きつけられ解いてみろと脅迫されているようなものだった。だから僕は自分のことを考える余裕などなく寝てもさめても問題を解き続けたのだ。熱心なのではなく、解けないことがいやだったのだ。その問題が解ける薬局があって、解けない僕の薬局ではプライドが許さなかったのだ。  今目の前にいる人、1時間後に目の前に現れる人、そうした時間を追いかけるような生活が僕の日常だったから、時間に引き戻されるようなことがなかった。その一つの道具として写真と言うものがあるならやはり僕には縁遠いのだ。かの国の女性たちは、幸運にも若い時代の3年間、日本と言う外国で暮らすことが出来る。彼女たちは懸命にその3年間を映像として残そうとしているのだ。自国ではそれぞれ能力をもっているだろうが、この3年間はそれを生かすことはできない。労働の対価を数字で得ること以外に、映像を借りてこの3年間を持って帰りたいのだ。止まらない時間の中で止まってしまった時間を切り取って持って帰りたいのだ。  そこが僕とは違う。僕には止める時間などない。与えられた課題を黙々と解いていく時間だけだ。それは未来からやってくる時間で、過去からやってくる時間ではない。だから僕は過去を映し出した写真に興味がわかないのだ。思い出すものも、思い出されるものも持っていない気楽さは何にも代えがたい。