不便

 おかげで活溌に動けた3日間だったが、僕はひとつ気がついたことがある。以前からどうしてかの国の女性達と行動を共にすると、時間の使い方が不合理になるのだろうと思っていが、それが解決した。必ずいつどこで何をしても大幅に予定の時間を超えてしまうのだが、その理由が分かった。彼女たち固有のものか、あるいは日本の若い女性達と共通のものか興味はあるが、後者の行動を試すチャンスはない。  元旦は、四国にフェリーで渡り、瀬戸大橋を車で渡って帰ってきた。早島のインターを降りる頃妻が、倉敷にも連れて行ってあげたらと提案してきたので、倉敷の正月の風情を見せてあげることが出来た。フェリーも瀬戸大橋も倉敷もどれも初めての子が多かったので、とても喜んでくれた。  そして今日は別のグループを、服を買いたい?見るだけ?と言うそれぞれの理由で、倉敷のアウトレットモールと美観地区に連れて行った。8人乗りの車に変えたけれど、それでも12人の集団だから2つのグループに分けなければ平等に喜んでもらえない。もうこうなったらバスでも買おうかと思うほどだ。  彼女たちの時間食いの理由がこの二日間で良く分かった。僕は自分が写真を撮られることも撮ることも嫌いだから、彼女たちのその手の行動には全く無関心だった。だからその場を離れていることが多かった。ところが一度に連れていく人数が増えたので、学校の先生ではないけれどとても気を使って引率している。事実時々点呼もしている。傍にいて良く分かったのだが、彼女たちは写した写真をその場で必ず確認する。それも例えば5人の集合写真を撮れば、必ず5人がカメラに駆け寄って、画面を点検するのだ。何をチェックしているのか分からないが、恐らく自分の映りしか確認していないと思う。昔なら現像してからでないとそんなもの確認できなかったが、今では一瞬にして確認できる。もし不満だったらどうするのだろうと考えたりするが、未だ誰も抗議しているのを見たこともないから、結構ナルシストっぽいのだろうと思っている。勿論本人には言わないが。  一体あれでどれだけのものを心に焼き付けているのだろうと思うが、どうやら彼女達の心にはフィルムはないらしい。パネルに触れるだけで自由に映像を操れるのだけれど、不便なものだ。僕なんか言葉だけで一瞬にして再生が可能だ。