思い込み

 ある薬が、縦15cm、横30cm、奥行き20cmくらいの箱に入っている。希望者に、希望の日数分分けるようにしている。必要なだけ手にはいるので結構好評だ。必要もないのに、大入りを売りつけられてはかなわないだろうから、親切で始めた。意外とそれが人気が出て、1日数人が取りに来る。在庫を切らさないようにしなければならない薬の筆頭になっている。だからその在庫には気を付けている。  前日その薬を沢山の人が取りに来て、在庫が少なくなっているのではと、何となく気になっていた。朝には注文を出しておかなければ、翌日分はおろか、当日分も心持たなかった。そんな心細い日に限って、開店してまもなくその薬を取りに来る人がいる。ほとんど狙い撃ちだ。早速必要分だけ数えて渡したが、ひやひやものだった。顔では笑って薬を渡したが、すぐに注文を出さなければと内心焦っていた。その時間帯なら当日配達で薬が手にはいるから。僕は調剤室に急いで入り、バーコードを読み込ませて発注しようとした。その薬箱を手に取ると、何と新しい箱がちゃんと用意されているではないか。今手に取った箱の奧に密着して。さっき、薬を渡すために同じ動作をしているのに見えていなかった。あんな大きな箱が、僅か目の前30cmの所にある箱が。  僕は、朝からその薬の欠品ばかり気にしていた。その薬の予備が「ない」と言う前提で思考し行動していた。だから、目の前に鎮座していたその箱が目に入っていないのだ。思い込みもここまで徹すれば大したものだ。見えるものさえ見えない。聞こえるものさえ聞こえない。臭うものさえ臭わない。あるものさえないのだ。人の思考は、現に存在するものを易々と越えていく。僕なんか凡人だから、品薄の薬があるだのないだののレベルでしかないが、この思い込みも昇華させれば、芸術や文学になる。芸術家や文学者はいわば思い込みの天才だ。  片方にマイナスの思い込みもある。心優しい人達は、ない症状をまるであるがごとく抱えてしまう。理論を越えて症状を作ってしまう。青春の落とし穴に落ちて、思い込みの牢獄に捕らわれている。幻を追いかけるのは罪がないが、幻に追いつめられるのは悲しすぎる。目の前に起こっていることを、視点を変えて、反対から眺めたらどうだろう。いったん否定してみること。もしそうでなかったらと。それが出来れば、目の前の箱くらいは見つけられると思う。