呪縛

 僕が若者と真剣に向き合って話が出来るのは皮肉にも薬剤師と患者としての立場だけかもしれない。いやいや、世代を問わず、その関係以外にはないのかもしれない。 今日もある若者と数時間一緒に過ごした。今日は彼のために時間を充分とることに決めていたが、嘔吐下痢の風邪がはやっていて急変した施設の患者さんのために薬を数回に分けて運んだり、漢方薬などを取りに来る人が重なって、常に話続けることは出来なかった。それでも実質2時間くらいは話すことが出来たと思う。2時間の会話と僕の漢方薬でどのくらい彼を苦痛から解放できるか分からないが、勿論狙いは完治だ。  一人で悩むのが青春の特徴だ。悩んでいる姿を他人に悟られることそれすら屈辱なのだ。だから彼も恐らく自分の症状を隠さずに話したのは初めてだろう。取り繕った訴えで症状が伝わるはずがないから、彼が過去受けた治療なんか効く条件が最初から整っていない。僕にはそんなこと全部見えてしまうから、そんなことはさせない。わざわざ遠くから訪ねてきてくれたのにもったいない。今まで何年も誰にも話したことがない症状を、吐き出してしまえばそれだけで楽にもなれるし、相手から本当の知識が得られる。全てを話してもらえないとこちらも正しい知識を伝授できない。間違った過程を通って目的とするところには到達できない。 恐らく彼が今まで仕入れた知識とは真っ向から反することを伝えたと思う。しかしそれを否定する理論を彼はうち立てられないし、逆に僕はいとも簡単に彼の理屈をうち破ることが出来る。ただ彼に起こっている不調は、正しいとか正しくないとかの問題を超越して、信じ切っている思い込みを如何に克服できるかだけの問題なのだ。思い込みをうち破ることが出来る漢方薬を作り、僕らの間に信頼感が少しでも生まれれば当然治る。彼は2時間の間に質問はしたが、僕の揚げ足を取るようなことはしなかった。このことは僕にとってかなり重要なことで、経験的に判断して治る必要条件と言ってもいい。治療は薬がするのかもしれないが、相性って結構重要なポイントなのだ。非科学的なことを言うが、元々人間の体や心なんて非科学的なのだから。  今以上に幸せに自由に暮らすことが出来る権利を彼も又十分持っている。自分が作ってきた殻を破りさえすれば、本当は多くの人に好感を持って迎えられることも、多くの人に愛され大切にされ、又頼りにされる自分であることにも気づくことが出来る。大切にされ、信頼された分だけ、困っている人達や弱き人達を大切に出来るのだから。僕との縁で思い込みなどと言う呪縛から解放され、弱い立場の人に多くを与えることが出来る人生を送って欲しいと思う。まるで悪意のない、それでいて絶望的な呪縛はあの頃の僕だけで充分だ。