ホームレス

 もしあの様子を大学の研究室で見かけたら、思索にふけっている教授に見えるだろう。もしあの様子を昼下がりの公園で見かけたら、束の間の休息を取っているエリートサラリーマンに見えるだろう。もしあの様子をファーストフードの店で見かけたら、授業をさぼっている学生に見えるだろう。もしあの様子をプラットホームで見かけたら、出張する前の技術者に見えるだろう。もしあの様子を厨房の中で見かけたら、フランス帰りのシェフが新しいレシピを考えている姿に見えるだろう。もしあの姿を舞台裏で見かけたら前衛芸術の台本を書いている脚本家に見えるだろう。 もう僕は何ヶ月もの間だ、彼の姿を日曜日ごとに見かけている。僕がその建物に入る時間は決まっていないから、少なくとも日曜日の午後はずっとそこにいるのだろう。彼がいる空間には50もの席が、薬をもらい会計をすませるために設置されているが、日曜日は急患を受け付ける救急の入り口だけが開いているから、そこは明かりも落として薄暗い。彼はいつも長いソファーに深く腰をかけ、前屈み気味の姿勢で本を読んでいる。ソファーの横には大きな紙袋が置いてあり、いつも色彩の乏しい服に身をまとっている。白髪交じりの長い髭は、生やしたものではなく生えたものだと容易に想像がつく。  風を遮り、読み物も多く、尻が痛くならないクッションもある。広い空間を独り占めして他人の視線に串刺しにされることもない。夜は何処で過ごすのかと思うが、少なくとも昼は無縁の公共に皮肉にも少しだけ助けられている。缶コーヒー1杯分の自責を飲み干し傍を通るが、のどごしに落ちていく無力さをくい止める気概は僕にはない。いくらカタカナで彼らを呼んでも、たった一つの笑顔も作ってあげることが出来ないのなら、こちら側も又見えないホームレスなのだ。