歩き人

 ずいぶん立派なお母さんになったと思う。まだ独身だった頃、ある病気の相談にやってきて、ずっと泣き続けた女性だ。その時のことをよく覚えている。お子さんが5才になったと言うから、もう10年近くなる。お産の前後はほとんどこなかったが、最近又しばしばやってくるようになった。泣き虫が、立派な母親を演じている。偶然僕が選んだ薬が功を奏して母親になれたのだが、今の様子を見てつくづく良かったなと思う。  時は振り返ればあっという間に流れるのかもしれないが、僕の回りでは時はよどみながら怠惰に動いている。登場人物も背景も華々しいものは何もない。名もない人達が、通行人AやBを演じている。主役も脇役もない。みんな通行人なのだ。時を飾る花束も楽団の音もない。重い荷物を背負い、道端の大きな石の上に腰を下ろし、目的地を再び目指す単なる歩き人なのだ。黙々とうつむいたまま、誰にも不満を述べず誰にも賛美されない歩き人なのだ。  柔和な表情をしているが目には力があった。10年の間に歩いた道が彼女をそうさせた。表舞台があったのではない。子育てを黙々とやり遂げているだけだ。多くを求めずただ黙々と、歩いているだけなのだ。そんな道が無数に交錯して時が海辺の町に正座している。