今朝、早起きして念願の(?)山の上のパン屋さんに行ってきた。この所、週に5回くらい食べているのでパンを買うことが目的ではなかった。パン屋さんの2人が、手作りで何でも作ってしまうと言うのでその作品を見に行ったのだ。お店で使う什器などは建物を造った残りの木ぎれで作ったそうだ。  ログハウス調の外観、イギリス風のガーデニング、どこかの雑誌が取材に来ても充分応えられそうな趣がある。ほのかな甘い香りがする店内にお目当ての手作り什器があった。素人が作りましたという雰囲気は全くない。繊細なところを見る僕の目が素人なので、ただただ感心ばかりしていた。先日2人が薬局に来たときに、薬の陳列棚を作ってくれる事になったので、イメージだけでもつかみに訪ねたのだが、これだと、薬局の薬が棚に負けてしまうかもしれない。棚が売れるかもしれない。  お店にいる時に感じたことがある。恐らく器用だから2人が作れるのではなく、作ろうとするから作れるのだと。少なくともお店を訪ねるまでは、棚は業者に依頼して作ってもらうものだった。ところが、まだデビューしてすぐと言う表面の木目が鮮やかな棚を見ていると、自分でも出来るのではないかと思った。不器用には自信があるが、作品を見ているとなんだか器用と不器用の垣根がなくなったような気がした。この気付きは僕にとっては瓢箪から駒だった。この所、新しいことに挑戦することに全くご無沙汰しているから、気概と言うものが自分の心から消えていることに気がついていた。何かを始める気力も体力もないのだ。  もう一度、僕の心に棚を作って、培った知識や経験を整頓してみて、小さな挑戦をしてみようと思った。棚は勿論、手作り。