勇気

 北の国が吹雪いている。この辺りの台風と同じ強さの風が真冬に吹く。南の国の人間には考えられない自然現象だ。体験しない限り想像もつかない。ニュースで流される映像では、身を切る冷たさは伝わらないし、ひょっとしたら身の危険さえ感じるだろう恐怖も伝わってこない。「ご注意してください」と一瞬顔をしかめながら言うニュースキャスターの白々しさが、聞く度に不愉快だ。空調の利いた快適な空間で何が分かるのかと思う。  想像力なんか、たかがしれている。五感を全開して体験したものに想像力だけでいったいどのくらい迫れるのだろう。太平洋の海面から海底を覗いているようなものだ。何も見えないのと同じだ。特に、恐怖とか痛みとかはほとんど体験者以外には伝わらない。僕らが知り得ることは、夜空に浮かぶ星の一つ程度のもの。実際に遭遇したもの以外はなかなか理解できない。厳しい自然も、不幸な出来事も気の毒だけれどつらくはないし、悲しくもない。  数年前の台風の夜、あふれ出した海水から母と一緒に高台に逃げた。高台の国民宿舎の手前で飛ばされそうになる母を何とか守らなければと、強い雨に打たれながら風が一瞬でも収まるのをじっと待った。もう10メートルいけば建物の陰に隠れられるところで躊躇しただひたすらに待った。建物に通じる小道が崖の上にあったから。その10メートルがなんと遠かったことか。  夜が明けて家に帰ったとき、爆撃にあったような光景を見た。その体験を通して初めて映像で伝えられる災害の悲惨さが、恐怖や悲しみをもって受け止められるようになった。幸か不幸か僕はやっと「気を付けて」といえる権利を得た。しかし、僕が体験したことなど、比べものになら無いくらいの恐怖を体験している人が一杯いる。それでも尚勇敢に生還している人を見ると足元にも及ばない勇気に驚く。黙々と懸命にそしてひっそりと暮らしている多くの勇気ある人々に、とてつもない大きな恵みがあればと思う。とても勝てない勇気の持ち主の人達だから。