数字

 およそ関係ない数字が、想像も出来ないくらいの単位で日夜報道されている。ある政治家の兄弟が数十億円損をしたとか、アメリカの銀行が1兆円以上損をしたとか。どうなってるの、数学の世界でもそんな数字は出てこなかったけれど。経済は数学より難しいのかな。正解のある問題を解くのは知的なゲームだが、損得ばかりが絡む世界の数字はなんだか汚れてみえる。数字の乱高下に一喜一憂する顔を見ているとなんだか神々しさがない。蚊帳の外の人間のひがみかもしれないが、灯油が値上がりして嘆く農家の人や町工場の人の方が余程いい顔をしている。自分は働かずに、他人の、それも名もない人達の労働の結晶の上前をはねるような印象がして不愉快になる。  富はブラックホールのように一極に集中するものなのか。一握りの人が富を手に入れ、その他の人間は所詮その人達のおこぼれを頂戴しているだけなのか。時代はずいぶん進歩したようだが、その構図は古代とほとんど変わっていないのではと思う。賃金という労働の対価なんてのはひょっとしたらお情けそのものなのかもしれない。上から下を見たことがないから、経済の眺望を知らない。どんな人達がどんな顔をして、どんな思いで見下ろしているのだろう。そしてその気分はどんなものなのだろう。  どうでもいいことなのだ。目の前の困っている人の体調がよくなればいいことだし、野菜が育てばいいことだし、魚が獲れればいいのだ。子供達は安全に列をなして学校に行けばいいし、お年寄りは転倒しなければいい。妊婦はたらい回しさせられなければいいし、夜道は凍らないのが良い。凍てつく夜に、家がない。はるか経済の高所から、底が見えるかな。