釘付け

 今日の空は、青色の絵の具を一本持っていれば描くことが出来るくらい澄んでいて高かった。煎じ薬を攪拌するためにお昼過ぎに外に出たのだが、まぶしいくらいだった。突然頭上でヒューヒュルルと鳴き声が聞こえた。見上げれば鳶が輪をかきながらゆっくりと旋回していた。幼い時にしばしば見かけた光景で、最近ではめったに見られない光景だから、僕は釘付けになってずっと見上げていた。すると何処からともなくもう一羽が近づいてきて、2羽がゆっくり旋回しながら、オリーブ園の丘の方に上昇し、やがて丘の向こうに消えていった。  なんとも言えぬ優しい空気に包まれて、これだけでいいと思う。恐らくかの地でも今日は同じような穏やかな日和で、本来なら僕と同じように空を仰いだだろう。ただ、今は自然の破壊力におののくばかりだろう。僕も10数年前に母を連れて深夜高台に避難した経験がなければ、自然の猛威を前にした恐怖を共有は出来ていない。ゆっくりとやって来て、数時間耐えれば必ず過ぎ去ってくれる台風と大地震を比べることは出来ないが、かの地の人たちの恐怖の1万分の一ほどは理解できる。  被害の映像を見ていると、経済的に立ち直ることが出来る人がどのくらいいるのだろうと思う。家が壊れるなんて誰が想像していただろう。お年寄りが多い田舎町でどのくらいの人が経済に余裕を持っているだろう。この国に住む限り明日はわが身。誰が戦闘機代を、戦車代を、潜水艦代を彼らに回して文句を言うだろう。  空を見上げ、鳶を見つけ、その姿を追い続けても、どこか後ろめたいのは、今回の震災には被害者しか登場しないからだ。そこがあの時とは圧倒的に違う。