散髪屋さん

 その店に入って1分も経たないうちに後悔した。大きなスーパーの中にある散髪屋さんを覗いたら、お客さんが一人散髪中だった。もう一人のスタッフは腰掛けて新聞を読んでいたから待たずにやってもらえると思った。案の定待つ必要はなかったが、手で腰掛けるべき椅子を示され、めがねを置く入れ物をこれまた手で示された。僕は口か耳が不自由なのだとすぐ理解した。それは僕にとってはなにの問題ではない。むしろその様な店にはいれたのを一瞬は喜んだ。ところがその後すぐに「どうしますか?」と尋ねられたから驚いた。なんだ喋れるのかと。何故喋らないのかと思ったが「髪を短くしないで、先が広がって見苦しいから何とか広がらないようにして」と頼んだら、「では、髪を切らなくていいってこと、何しに来たの?」と喧嘩ごしのように言われた。「いや、短いのは好きでないので」と言いなおしたほうがいいのかと思い、説明をはじめると「耳が出るように切るのか出ない様に切るのか」とたたみ込まれた。耳が出るかどうかは僕には余り関係ない。ただ、冠婚葬祭でもない限り僕は髪はいつも長い。だから刈り上げないでってことを言いたかっただけだ。僕の世代で髪型をおそらく細かく注文する人なんていないだろう。照れくさくてそんな事は言えない。福山雅治のようにしたくても、お任せしますって言うのが僕らの世代から上の人の特徴だ。  なんてところに入ってしまったのだとしきりに後悔した。そのうち隣に一人の客が座り、それが彼の同級生だとわかると、昔を懐かしんで話が弾むこと。僕が店を出るまで話しつづけていた。知らない町の知らない散髪屋さんで僕が話すことは何もない。僕は無駄な話はしないから好都合だったのだが、職人気質の頑固者と言う認識をし始めた頃の突然のお喋りなので、一気に興ざめした。と言うのは、さすがに向こうも言いすぎたと思ったのか、途中で「要はいかにも散髪をしましたってのはいやなんでしょう?」といわれ、まさにそれなのと感心したからなのだ。要点をついた言葉に見なおす機運もあったのだが、それもつかの間だった。  残念ながら、叉散髪屋さんを探さなければならない。1年に1回くらいしか行かないので、大した客にはなれないが、少しはこちらの意を汲んで欲しい。照れくさくてなにも言えないのを察してうまく誘導してくれないかと思う。だからと言って美容院に行って「シャンプー入ります」と全員が大声で斉唱するのを聞くのも耐えれない。  折角の日曜日が、ストレスを一つ拾う日になった。棄てたかったのに。ただ、反面教師にもなった。職人を目指している僕にはよい教科書だった。