姉と弟

 たまにこう言った光景に出会うから、人間を信頼できる。兵庫県から隔週で漢方薬を取りに来る夫婦は、もとはといえば県内のある老婦人の紹介だ。老婦人は男性のお姉さんにあたり、年は10歳は離れている。かくしゃくとした男性に比べて老婦人は、背も曲がりかけていて歩くのもおぼつかなかった。しかし、老婦人の病気(骨そしょう症の影響で首の骨がいつ折れてもよいそうだから気をつけるように言われていた。そのせいで手がしびれてものがうまく持てなかった)が、かなり煎じ薬などで改善したので奥さんを連れて相談にやって来た。以来切らさず隔週の火曜日にやってくる。奥さんの症状もかなり改善されて、みな楽しそうにきてくれる。  老婦人も牛窓から車で30分くらいかかるところに住んでいて、兵庫県から来るには遠回りになるのだが、お姉さんを拾って来てくれる。その理由は、以前は薬を送っていたのだが、毎回僕に症状を説明し、様子を見てもらって薬を作ってもらったほうがより効くだろうからと考えたからだ。お姉さんに問診していてもしばしば口を挟み代わりに説明してくれる。その甲斐あってか、最近は包丁も握れるようになって、料理もできだした。見るからに元気になっている。首が危ないから気をつけろといわれても気をつけようがなく、落ちこんでいたのが少し気分も上向いたのだろう。  圧巻は、帰る時の弟さんの気の使い様なのだ。今ではそれほど歩くのは心配はいらないように見えるのだが、弟さんが必ずお姉さんの腕を取り一緒に薬局から出ていくのだ。僕はその後ろ姿を見て、おそらく70年前にその逆の光景があったのだろうと想像して、涙腺が緩んでくる。優しい少女が小さな男の子の手を取り夕焼けの中を歩いて家に帰る光景が勝手に浮かんでくるのだ。歩いているのは土手の上でなければならない。時々鍬を抱えた近所のおじさんやおばさんに会わなければならない。枯草を焼いた残り火が匂わなければならない。五右衛門風呂をたくおじいさんが腰を下ろしていなければならない。  はり絵のような2人の後ろ姿を秋が追いかけていた。