カラス

 何かを象徴しているのだろうか、何か良くないことが起こるのだろうか、これは人間の勝手な想像で、とうのカラスにとっては、単に仲間と一緒にどこかへ飛んでいっただけなのかもしれない。  午後4時頃、何気なくパソコンから目を離し外を見ると、空のほんの一部を切り取った窓ガラス越しの風景の中を、カラスが一羽、又一羽と続けて横断した。それが意外と長い間続いたので、僕は薬局の外へ出て空を見上げた。すると、切り取った風景だけではなく、西の空から東の空まで、次から次へとカラスが現れ飛んでいった。いったいその数はどのくらいだったのだろうか。後から出てきた妻は、100羽以上いたと言っていた。地震でも起こるのではないとその場で言っていたが、娘は薬局に入ってから、気持ち悪いと言っていた。  カラスもただ、群れをなして飛んでいただけなのに、火事だ地震だと騒がれたらたまらない。また、気持ち悪いなんて言われてもたまらない。人間は想像する能力があり、科学も文学も芸術もそれなくしては語れない。ただ、時としてその能力が悲劇をも作り出す。人の力は、道に落ちている石にだって命や感情を与えられる。そのどちらも宿っていないに決まっているのに、何でも与えられる。人間は、とてつもない能力を与えられ、その分、とてつもない悲しみも同時に与えられている存在だと思う。