今朝まだ暗いころ、急に雷が鳴り出した。久しぶりに聞く雷鳴のような気がした。梅雨に入るころ、梅雨が開けるころ、季節の扉を開くかのように鳴っていた雷に秩序がなくなったと思うのは素人の僕だけだろうか。これで梅雨に入る、これで夏がくる、老人達の会話に季節の法則を自然に学んでいた。あの法則は、半世紀近く経つと通用しなくなり、職人気質の僕の祖父たちも今は草葉の陰で苦笑いしているかもしれない。雑多だけれど、多くの知恵を僕は祖父母や、その仲間達に頂いて育った。当時の子供たちはおおむねそうだったのではないかと思う。教室の中が知恵の宝庫ではなかった。生きていく知恵は町の小さな共同体でもらった。暮らしていく知恵は学校でもらった。今僕はその両方のお蔭で生計を立て、地域の人達とともに生きている。  不覚にも、雷が冬でも鳴ることを知ったのは岐阜で暮らし始めてからだ。最初は本当に驚いた。夏だけの自然現象と疑わなかった僕は、最初理解できなかった。しかし、雷は雷。それを何かと間違うはずもない。所変わればなんとやらを身を持って感じたことを覚えている。  光と音の時間差がなくなった頃、さすがに緊張はしたが、対処のしようがない。なす術がないのは結構度胸が据わる。なす術がある時に意外と恐怖は増幅される。溢れた海水に追われて逃げた時は恐ろしかった。屋根から瓦が飛んでくる中を母を連れて逃げたのも怖かった。いくつかの選択肢の中から、なす術を見つけての逃避行だったから。  そのうち雨が強く降りだし、一気に冷気に変わった。久しぶりに味わう気温だ。祖父母たちならこれで夏が終わると言うだろう。さて、どうなるか。草葉の陰で照れ笑いなどさせないで欲しい。